紙おむつとロボット

高分子ポリマーが研究室で生まれたとき、その利用方法がわからなかった。
とにかく、じぶんの体積の30倍以上という倍率で、水をとらえる(吸収する)ことができる。

かんがえたあげくに思いついたのが、「紙おむつ」だった。

大学の心理学の授業でも、教職課程にあった「発達心理学」で、当時若かった女性助教授の講義をいまだに記憶している。
それは、すっかり普及していた紙おむつが原因とおぼしき「発達障害」のはなしが衝撃的だったからである。

赤ちゃんが感じる、「不快」は、本人にとって泣くしか表現できない。
すると、誰かがやってきて、おむつ交換をしてくれて、この不快を取り除いてくれる。さらに、「泣いている」ので、交換しながらたいがいのおとなはことばをかけて「あやす」のである。

これを繰り返すと、お乳がほしいということもふくめて、「泣く」ことが他人を「呼びつける」という意味の言語化される。
つまり、欲求の言語化である。
そうして、事前に「泣く」ことで、先回りして欲求を伝える、それに、あやされる、というコミュニケーションがはじまるのである。

たとえば、男の子が泣きだしからおむつを交換しようとしたら、おしっこを顔にかけられた、なんてことがある。
おしっこを「した」からおむつが不快で泣いていたのから、発達して、おしっこを「したい」というだけで泣くようになる。

こうして、じぶんで歩けるようになれば、勝手にトイレにいって用を済ますようになるのである。

紙おむつが「問題」と指摘したのは、赤ちゃんが「不快」を感じないからである。
しかも、製品としての機能に、その都度交換を要しないで済む「用量」を確保した。

これで、おむつ交換の回数が減るので「経済的」かつ、おとなには交換の手間が減る、というメリットがあると宣伝された。
じっさいに、用を済ました赤ちゃんは泣くことがない。
宣伝どおり、「快適」なのである。

すると、上述のプリミティブなコミュニケーションが発生しない、という「問題」となって、赤ちゃんの脳と心の発達に悪影響を及ぼすメカニズムになるのだという説である。
つまり、おそろしく早い時期に、「親子の断絶」がおきている、と。

さらにこのことが、赤ちゃんの深い記憶になって、成長とともに心理的な発達障害を引き起こして、当時のことばでいう「不良」になる確率が高まるということだった。
自分と他人とのコミュニケーションが不得手ということからの、社会性の喪失だという心配であった。

あの授業からほぼ40年。
おおむね、この「説」の正しさは変わっていないようである。
だからといって、推奨された「布おむつが復活した」ということもない。

どこにいっても、好天で、布おむつが大量に洗濯物としてはためいている光景を見なくなった。
コインランドリーで乾燥機にかけているのかもしれないけど。
「注意書き」にみつけることができる。

それにしても、子犬の生育とよく似ている。

生後かならず、母犬と一緒に生まれた兄弟犬たちによる、「社会化」の時期がある。
この時期にちゃんと社会化された個体と、そうでない個体は、その後、生涯にわたって精神の安定度がことなることはわかっている。

だから、スイスやドイツなどでは、社会化時期をちゃんと超えた生体でなければ、売買などの取引は禁止されている。
わが国でも2019年6月、改正動物愛護法で生後56日(8週間)までは「原則」禁止、になった。

ただし、わが国のばあい、確実に社会化されたかではなくて、日数だけ遵守、ということがある。
狭いケージを理由に、母犬その他から切り離してしまう例が多々あるのだ。

この「無頓着」が、人間の赤ちゃんにもあるとなると、一種の「虐待」にあたりはしないか?
「母性」すら否定的なフェミニズムが跋扈するなか、よき「母」としての教育がおろそかになっている。

これが、「情操教育」にも影響している。

子どもがいる家庭で、子どもの発達のために「犬を飼う」ことがある。
人間とは別の生きものと生活を同じくすることが、「情操教育」になるのである。

動物園などの施設による、小動物との「ふれあい」が用意されているのも、このねらいがあるし、小学校でも飼育している。
人気アーティスト『いきものがかり』は、そのままのネーミングだった。

いろんな事情から、犬型ロボットや会話風がたのしめる人形が発売されたのは、「癒やし」を欲したからである。
しかし、これらのロボットが、子どもの発達に役立つものか?

さいきんでは、「弱いロボット」が話題になっている。
子どもからみても、か弱なロボットは、これを守ろうとする心が育まれるという。

でもそれは、「子どもだまし」ではないのか?
急速に発達する子どもには、か弱にみえたものとの「一体感」をつくれるものか?とうたがうのである。

いま、小児病院では、「セラピードッグ」が不可欠になりつつある。
ロボットは生体に代われない。

おむつはじぶんで選べないけれど、子どもは姑息なおとなには、だまされない、のである。

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