経営が下手な店が空いている

こんな情況下だが、繁盛している飲食店もあれば、閑古鳥が鳴いている飲食店もあるのはどうしたことか?
なんとなく外出がはばかれる世の中の雰囲気があるから、ふつうの店なら閑古鳥のほうに分類される数のほうが多いのだろう。

けれども、一部の店ではふだんとぜんぜんかわらないどろか、むしろ混雑していることもある。
どうやら、ふだんのあまりの人気店が、新規客で賑わっているやもしれないほどである。

ふだんどおりの営業をしているのが繁盛店の特徴でもある。
つまり、けっして「値引き」をして、誘客しているわけでもない。
むしろ、貴重な席にすわれることがラッキーにおもえるから不思議である。

特別な店でなくて、ふつうのラーメンや定食を提供している食堂だけれど、地元で人気の食堂だって状況はおなじだ。
ただし、各テーブルには、手作りのポップがあって、店内の洗面台の位置説明と石鹸での手洗いをするようにうながす注意書きがある。
それに、店内でつかう食器はすべて高温殺菌している旨のアピールがあった。

こういうものを、さりげなく出すことができる「センス」こそが、経営上手というのである。
また、どっからどうみても、「アルバイト」にみえる店員さんが、子ども連れのお客に、手洗いをうながしているのも、店主による「従業員教育」が確実に「実行」されているという意味がある。

要は、ちゃんとした衛生についての知識をおしえているから、納得した店員さんがそれを実行するようになるのである。
つまり、ただ「客に手洗いをすすめろ」という「命令」や「指図」だけではできないことであるばかりか、経営が下手な店のばあいは、この例における、「命令」や「指図」すらしてはいないのだということがわかるのである。

もちろん、店員がマスクを着用することもしていない。
あれは、保菌者や発症者が着用して、健康なひとにうつさないための努力であり、自分が病気であるという「合図」でもあるからだ。

すると、キーワードは「説得」か「納得」か?という選択であって、従業員が「納得」したとき、はじめて経営者の意思が実行されるのだ。
これは、もはや物理的な「メカニズム」である。

したがって、このメカニズムを熟知している経営者は、いかに従業員を納得させることができるのか?に腐心する。
こうして、「従業員満足度」も自動的に向上するようになっている。

しかし、このメカニズムをしらない経営者は、従業員に一回だけでも「命じる」ことで、それが実行される「べき」と発想する。
だから、この手のタイプの経営者でもガマンができるひとは、しつこく何度でも「命令」して、あげく「うちの従業員はバカだ」といいだすのである。

従業員が、「納得」できていないことに気がつかないのだ。
だから、従業員満足度を向上させる方法を、「別途やればいい」という分裂したかんがえを平気でしている。
従業員のなかでもパートやアルバイトは、もっとも消費者に近いことにも気がつかない。

短時間のパートできてくれるのは、いまどき「有難い」存在である。
本来の「パートタイム・労働」が、いつのまにか「フルタイム」になったけど、雇用形態としての「非正規」を指すように変換された。

一日のうち、8時間のフルとはいわず、6時間でも、4時間でも、おなじ職場で毎日働いていて、自社の従業員が「納得」しているのかどうかも「わからない」という経営者とは、いったいふだん、なにを経営しているのか?

この「無感覚」は、人間をさげすんで下にみるという感情から発生しているとかんがえられる。
もし、対等の人間同士ではあるが、業務上の役割がちがうだけなのだ、と発想すれば、毎日顔をあわせるひとたちの感情がわからない、ということにはならない。

大企業より中小・零細企業のほうが、この点で圧倒的な有利があったものを、中小企業はなにもかもダメで大企業こそが素晴らしいと発想する、国家公務員のえらいひとたちのかんがえが、どうしたことか民間に伝染して、小規模のゆえの利点すら見失う経営者たちが発生している。

しかも、おおくがオーナー一家か企業内昇格でなるのが、わが国の経営者の特徴だ。
ここでの共通点は、昇格による「安全地帯」に自分がいるという、身分上の「安心」が、特別感に転位して、「身の程知らず状態」になるのである。

そんなわけで、やさしい政府はどうしたら「助けられるか?」をまたまたかんがえだして、経営が下手な店を延命させる努力をするのである。
産業優先しか頭にないから、これに乗じる政治家が、これ見よがしのお手柄にしたがるのだ。

先進国の政府は、とっくに「生活者重視」にシフトしてしまったから、個人への資金を提供する方式をかんがえる。
住民ひとりに香港ですら14万円の支給が、わが国で1万4千円という額で議論の俎上にのるのは、産業優先の予算配分にこそ重みがあるからである。

べつにお札をばらまかなくても、消費税で調整だってできるものを、ぜったいにしないのは、財務省というお役所が握っている「岩盤」か「鉄板」になっているからである。

こうして、ふだんからの自助努力に乏しい店が、ゾンビのように生きのこる社会となる。

損をするのは、いつも生活者なのである。

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