自動精算機で買いものができない

さいきんのスーパーマーケットには,「セルフレジ」が導入されてきているが,レジ担当者が商品を読み込ませ,支払だけを「自動精算機」にするという,「セミ・セルフレジ」の店もある.
もちろん,従来型のレジもあるから,利用者はすいている方を選べばよいのだが,そうなると「セルフレジ系」になるのは当然である.

セルフレジは,列に並んだとしても四台ほどのかたまりで設置されているし,セミ・セルフレジの自動精算機は,二台セットで設置されていることがおおいから,従来型のレジとは「処理能力」がちがう.
つまり,これは,「待ち行列の理論」そのものの応用である.

「待ち行列の理論」というのは,1917年(大正6年)にアメリカでの自動電話交換機の開発から「考案され」,第二次大戦中に「完成された」といわれる「理論」だ.さいきんでは「渋滞学」ともいわれるそうだ.
ずいぶん前から,といってもここ二三十年のことだが,日本でも「公衆電話の並び方」や,「銀行ATMでの並び方」で導入されたから,気がついたひともおおいだろう.

一台ずつの機械の前に並ぶより,一箇所にまとまって並んで空いたらそこへいくという並び方のほうが早く順番がくる.
また,並んでいる途中で,窓口が一箇所でもふえると,急速に列に並ぶひとの数が減ることも,体験的にしっている.
これらは,すべて「待ち行列の理論」で解けるのだ.

そんな「理論」もふくまれた,最新の買いもの精算機ではあるが,お年寄り層には不人気である.
タッチパネル式の画面に違和感があって,同時に音声ガイドがまくしたてるから,「ちょいパニック」になるのだろう.それは,目からはいる情報と耳から入る情報から,同時に処理を強要されているように感じるからだとおもう.このあたりは,「ユニバーサルデザイン」の問題だ.

自動精算機を嫌う,あるいは戸惑いながらつかっている姿をみると,あとどのくらいしたら,自分もああなるのか?とかんがえるのだが,そのときはどんな精算方式なのか?見当がつかない.
たぶん,方向として「キャッシュレス」なのだろうが,どんな意味での「キャッシュレス」なのかがわからないのだ.

銀行員をして大量リストラの対象にする「自動化技術」は,お金というものがもつ「情報」に対しての「自動化」だから、これはかなり生活に身近なことまで影響するだろう.
すでに,家庭用として「スマートスピーカー」という便利グッズが人気になっている.要はコンピュータ(人工頭脳)と,会話ができてやりたいことを命令できるものだ.

家庭内のさまざまな「モノ」が,ホームネットワークで連結されれば,「スマートスピーカー」を介して「自動化」ができる.すでに,カーテンの開閉や,ルームランプの点灯や消灯はお手のものになっているし,生活用品の「発注」もできる.
「発注」ができるのは,支払方法がきまっているからで,「自動決済」が現実になった.しかし,ここでは,おおくのばあいクレジットカードのことをいうだろう.

「デビットカード」が普及する文化と普及しない文化がある.
欧米は普及する文化で,わが国は普及しない文化だ.
このちがいは,「銀行口座」と「資産」のかんがえかたがちがうからだとおもう.

それは「小切手」でわかる.
わが国で,小切手を個人が生活上ふつうに利用するという文化はないし,過去もなかった.
ところが,ヨーロッパはふつうだった.むしろ,自国通貨をもつより小切手の方が便利だった.
せまい地域におおくの国がひしめくから,しぜんと為替のかんがえかたが発達したのだろう.

日本は,「天下の台所」だった大阪圏では「銀」,政治の中心江戸では「金」が流通の基本だった.それで,大阪と江戸の商取引は,銀貨と金貨の交換が必要となって,相場とともに為替ができた.この相場に幕府が介入して失敗し続けたのが,江戸時代の経済政策である.ちなみに,東京の「銀座」は,大阪の「銀貨」を江戸でつくらせたことが発祥である.

だから,日本の為替の大元には,現物の貨幣交換があった.
これを明治に「円」で統一した.すごい政策である.しかし,まだ銀行が一般的でない.
それで,一般には現金が重要で,送金のための為替が必要となったから,郵便為替は画期的だったろう.それから銀行が普及すると,現金を預ける「普通預金」がふつうになった.

つまり,ヨーロッパでは,資産を管理する口座と,普段使いの小切手(当座預金)口座との二つがあるのがふつうだという日本との決定的ちがいがある.それで,クレジットカードが世にでたとき,かれらは小切手のかわりとしたから,クレジットカードをつかうと伝票にサインする.まさに,小切手文化の継承である.だから,手段としてのクレジットカードが普及しても,引落口座は当座預金のままだったのである.

ところが,クレジットカードの引落には月単位の時間差がある.これは,当座預金の管理をかんがえると面倒だ.それで,直接つかった時点で引き落とされるデビットカードは,かつてなく便利な「電子小切手」なのである.
このかんがえが,日本にはない.

さいきんなにかと話題の「仮想通貨」も,以上から感覚のちがいがわかる.
デビットカードでは,送金ができないから「電子小切手」としては機能がたらない.それで,「仮想通貨」が,次世代の「未来型小切手」であると感じるのだ.だから,仮想通貨は当座預金から発行(振り出し)されればよく,仮想通貨じたいを預金するという発想が希薄である.
一方,わが国では,「相場モノ」になってしまった.

わが国では,「普通預金」の概念をかんたんにかえることはできないだろう.
すると,当面は,クレジットカードが主流にならざるをえないのだが,加入には「審査」がいる.
年金世帯では,これもハードルがたかいだろうから,デビットカードの普及がスーパーマーケット決済の合理化に寄与することはまちがいない.

すると,通帳のページ数が足らないのではないか?
毎日の買いものの決済が,通帳に記載されるのは年金世代には便利なはずだが,すぐに通帳があふれるだろう.
おそらく,これがスーパーマーケット決済のキモになるはずである.

デビットカードが普及すると,あらゆる商売に影響する.
日本には,仮想通貨革命のまえに,デビットカード革命が必要だ.

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