自治体広報誌の記事

3月は「春」のイメージと「年度末」が重なる妙な月である。
これを歌ったのが、天才中島みゆきの『春なのに』だった。

どうしてこうなるのか?
それは、わが国政府の会計年度が4月からはじまって翌年3月で終わるからである。
これに、学校も引きずられることになったのだ。
しょせんは「カネ」をあつかう「予算第一主義」である。

世界でみると、政府が暦年を採用しているのは、ヨーロッパ、中国、韓国。
10月からはじまるのが、アメリカ合衆国。
4月開始が、わが国ということになっている。
あんがい、「暦年」が多数なのである。

そんなこんなで、年度末、毎月配付される自治体の広報誌にどんなことが書いてあるのかのぞいてみた。
ふだんは、ポストからストレートに古新聞箱にいくものたちだ。

まずは神奈川県。
横書きなので、新聞とは逆のページが「一面」にあたる。
『かながわ気候非常事態宣言』という物騒な文字のうえには、昨年の台風19号の巨大な渦巻きを、気象衛星からの写真で大写ししている。

記事の内容は、知事の署名があるから、本人によるメッセージなのだろう。
いちおう、このひとは政治部とはいえ元報道記者だった。
どちらの報道機関も社内で「政治部」は、他部よりも格上になっているらしいが、「政局」しか書かない、書けない集団なので、頭脳がなくても字が書ければ勤まるだろう。

オーストラリアの森林火災を例に、「地球はすでに持続不可能な悪循環に陥ってしまったのではないかと心配になってしまいます」と、心配しているのだが、個人ならいいが知事という公人としてだと、こちらが心配になってしまう。

そこで、大写しの衛星写真に言及して、「今の地球の異常な気象からすれば、今後はこういった規模の台風が毎年襲ってくるという前提でさまざまな災害対策を考え直さなければなりません」とは、「前提」がおかしくないか?

わが国を襲った台風の強さや大きさは、いま衛星写真でみることができるからといって、昨年の19号が特別だったわけではない。
むしろ、ヘクトパスカル(むかしは「ミリバール」といった)で比較すれば、巨大な台風は「昭和の時代」の方がたくさんきていて、昨今のほうが「小型化」しているのだ。

それで、「こうした危機感を県民の皆さまと共有し、ともに行動していくことを目的に(タイトルの「非常事態宣言」をだした)」といい、なぜか「SDGs」の理念が突然でてきて「いのちを守る持続可能な神奈川を目指してまいります」と結んでいる。

「SDGs」とは、国際的NGO(非政府組織)である「WWF(世界自然保護基金)」という組織がかかげているもので、2015年の国連総会で採択された、2030年までの行動指針になったものだ。

「国連」というお墨付きがあるから、とうぜんに日本政府が取り組む課題にもなっている。
すなわち、神奈川県知事は国に依存しますと「宣言」しただけのことである。

なお、WWFの世界本部有力者たちは、事故を起こした化学メーカーのトップだったりして、この活動による「免責」を期待していることでもしられ、わが国を震撼させた「ロッキード事件」に関与した人物もふくまれていることに注目したい。

すなわち、あやしいのである。

これは、科学を無視した「政治活動」そのものである。
なるほど、政治記者だった知事の政策としては、本人にとって魅力的だが、県民にとっては「ゴミ」である。
こんなものに血税予算を投じる愚挙を、愚挙といわない愚挙がある。

つぎは横浜市。
林市長はピンクの衣装に身を包んでの写真で、「お花見」を推奨している。もうすでに「お花見気分」で、瀬谷区が候補の「世界花博」が待ち遠しいのだろう。
首相の花見のことは、すっかり他人事である。

「広報よこはま」のいい点は、横浜市のデータとして毎月「人口」と「世帯数」が直近の数字で発表されることである。
しかし、むかしは「市職員数」もあったはずだが。

裏面には「新型コロナウィルス」の「予防」として、イラスト付き解説がある。
こまめに手を洗う。
咳がでるひとはマスクを着ける。(アルコール消毒も有効です)
よく眠り、バランスよく食べる。

「手袋の着用」がないけれど、おおむね文句はない。
けれども、世間には消毒用アルコールもマスクも消えた。
ならば、どうするのか?の広報がひつようだから、「役に立たない記事」なのである。

政府が感染症対策のマニュアルをつくっていないという事実が、自治体にもないという事実をつきつけるから、この広報誌のページを埋める「記事=役所の活動」のほとんどが、やめてもいいものになる。
税金の無駄どころではない、職員雇用の無駄なのだ。

横浜IR(統合型リゾート)のパブリックコメント募集の記事が、ウィルス対策の下にあるけど、前ページには「横浜市新たな劇場整備検討委員会」が、劇場をつくれといっている。
IRのなかにできるのとは、あたかも「別」のようで無駄である。

そして最後のページの最後は、「改正健康増進法」による、4月1日からの「原則屋内禁煙」の記事である。
これは、「法律」だから横浜市のせいではないが、「禁煙ファシズム」のさらなる推進ということで、おおくのひとが「自由を失う」はじまりを告げる記事である。

たばこを吸う自由を失うのではない。
「自由を失う」最初の事例が、「たばこ」であるだけなのだ。

さては来年度からも、自由を失う、住みにくい国や地域をつくる迷惑な努力が止まることなく推進されることだけは確かなようである。

広報誌を読めば、よくわかる。

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