観光行政の失敗の本質

ひとことでいえば「平等主義」の限界なのである.
わが国において「平等」といったときの「平等」とは,かならず「結果の平等」をさす.
世界標準の「平等」とは,「機会の平等」すなわちスタートラインの平等をさすから,まるで意味がちがう.

円周をまわるような陸上競技のトラック種目なら,「距離が平等」になるようにスタートラインは一直線ではない.
これを,みんなで手をつないでゴールするのが運動会の駆けっこになったのは,世界的な「奇観」であろう.

大もめの徳島阿波おどりも,人気の演舞場と不人気の演舞場の座席チケットが同じ料金なのだ.
どうして,ここに経済原理があてはまらないのか?
同時ゴールの運動会のような奇観である.

こうしたことの発端には,遅い子がかわいそうだから,という「優しさ」があるという.
ながい人生で,そんな優しさで守ってもらえるのは「学校生活だけ」になるから,社会に出る準備としてかんがえると,ほんとうに「優しさ」になるのだろうか?

日本企業がこぞって「実力主義」を標榜し,旧来の「日本的経営」から「年功序列」が排除されようとしたときに,就職を控えた学生アンケートで「実力主義」が支持されている報道がずいぶんあった.
このときの学生は,「実力主義」がどんなものかを知らなかったのではないか?
これは,きっといまでもおなじだろう.

受験があるではないか?という意見もある.これぞ「実力主義」だと.
ところが,入ってしまえば学者になるのでなければ遊んで暮らせる.
それを企業は熟知しているから,よほどのことがなければ「大学ブランド」などとっくに有名無実化している.
さいきんの最優秀レベルの高校生は,外国の有名大学をめざして国内軽視が常態化した.

それで就職に有利かといえば不利ではないという程度だろう.
もはや「安定した企業」などないから,寄らば大樹の陰のような発想をするなら公務員をめざすしかない.なるほど「官僚」になるには有名大学の有利は変わっていない.

一方で,企業の方も,どうやって「実力」を測定するのか?という問題に相変わらずなやんでいる.
営業系なら「売上高」という指標がむかしからあるが,有能な人物ほど管理系に配属されることがおおい日本企業では,さてどうするかが困難になる.

「行政」には「売上」というかんがえ方自体がないから,民間でいえば全員が「管理系」になる.
これで内部組織の評価だけでなく,いわゆる「事業」の評価が問題になる.
簡単にいえば,予算を使い切れば「成功」である.では,その予算はどこから出てくるのか?
つまり,「予算化力」こそが重要になる.

ところが,ある「事業」を企画して「予算化」しようとしたとき,民間とちがうのは「議会」を通過させなければならないという関門がある.
「議会」が毎日あるならまだしも,わが国の地方自治体の「議会」は,休みがおおい.
しかし,これには「非公式協議」というのがあって,実態はこちらできまるようになっている.

公式の「議会」は,「非公式協議」の決定を追認することになる.
しかし,どうやって決めようが,「議員の意向」をなるべく「全方位」でくみ取る必要があることに,かわりはない.
ここに,「結果の平等」が出てくる.意見がことなる議員の意向を全部呑み込む努力をするからである.

そして,決定的なのが,観光業の「小ささ」と「軽さ」なのだ.
その地域経済における影響力としての「大きさ」と「重み」が,ないという事実.
口では「観光立国」などというが,全産業でみたとき,実態は「ミクロ」なのである.
だから,地域として「観光」に予算を重点配備することが「全方位」からするとできない.

「予算の重点配備」とは,補助金をふくむから,観光業以外の業界がかならず「不満」をいうのである.つまり,こっちにもお金をまわせ,と.
それで,せいぜい地元の「祭り」への介入しか手だてがない.
地元行政として,こうした目立つ行事になにかをしないと精神の安定がたもてないのだ.

だから,住民からの要望は関係ない.
行政として「やりやすい方法」が,もっとも効率がいい.
この「効率」も,投下資本に対する効果がたかい,という意味の「効率」ではなく,予算をとおして「企画化」することについての「効率」である.

そもそも,日本の行政に「儲ける」という概念がないから,投下資本という発想すらない.
ひるがえって,「住民側」とは「業者」のことで,法人住民税や事業税を払っているひとたちのことをいうから,「個人」ではない.

行政が予算獲得のためにつくる各種会議に,「個人」ではない「住民側」の業者しか参加しない.
それで,観光地に住む個人は,観光公害に悩まされても,「住民側」の業者が優先される.
これを正当化するために「経済効果」と呼ぶ業者側の収入増が錦の御旗として語られることになっている.しかしこれには,経済効果を「もっと増やす方法」はかんがえなくてよい,という意味がふくまれている.面倒なことはしたくないのが世界共通の役人の特性だ.

こうして,およそ「トータルコーディネイト」とはかけ離れた,個別の立場がバラバラのまま放置されるから,いつまでたってもゴチャゴチャした「観光地」のままになる.
これを「昭和レトロ」などといってマスコミが肯定するから,改善の余地がないばかりか「なにをどうしたい」のかがわからなくなって,やっぱり「放置」される.

個人の住民と行政の「乖離」,これである.

たとえば,銀行経営が成り立たなくなって大リストラが用意されている.
この原因は,「金融行政」がリスクをとってはいけないと銀行に命令し,貸出先の審査には「信用」ではなく「担保をとれ」と命じたから,ほんらいの「金融」が機能しなくなった.
これに,日銀の出口がないマイナス金利政策で,利益の源泉を失ったのである.

しかし,国民にとって見えないおおきな損は,これでは「通常営業ができない」として,欧米有力銀行がこぞって閉鎖・閉店して日本からいなくなってしまったことである.
こうして,日本人は,欧米ならあたりまえの金融サービスをうけることができなくなった.
たとえば,イスタンブール空港には,HSBCの顧客ラウンジがあるが,ここを利用できる日本人は皆無だろう.そもそもHSBCに口座を持っている日本人は何人いるのか?

つまり,なんのため,だれのための行政か?を失念して,行政のための行政をおこなうとこうなる.
わが国では,これをただすために存在するはずの「政治」がとっくに機能を失ったから,上述のとおりの行政の行動原理しか残っていない.それで,あらゆる分野で同様のことが発生しているのだ.

あなたの業界に都合がいいことですよ.
こうした目先の利益に釣られてしまうから,かんたんに行政のたなごころで遊ばれる.
どちらさまも自社の存在理由が希薄だと,好きにされるのである.
ましてや,気に入らないとペナルティーを課すほどに権力をふるうのが行政である.

この国は,おそろしい.

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