農産物の世界規格番号

昨年の「東京オリンピック」は、すっかり過去のことになったかとおもったら、「汚職」問題で話題になっている。

そんなに騒ぐのはどうしてか?わたしにはよくわからないけど、たしかに「汚職」を肯定する気はない。
ただし、そもそもが国際オリンピック委員会(IOC)からして、怪しい民間団体なのだ。

前にも書いたが、暇人のヨーロッパ貴族たちの「娯楽」としての「見物」が、近代オリンピックの「本音」だからである。
こういってはなんだけど、この意味で選手たちは、「見世物の対象」にすぎない。

だから、その運営者が運営者のなかで「金儲けに画策する」のは、べつにふつうのことなのである。
もっといえば、「金儲け」したいから、巨額の誘致予算と人員をかけて、競争相手から開催地を「勝ち取る」ことも、ぜんぶが「ビジネス」なのである。

いろんな「業界」が、カネを出すのも、その恩恵がほしいからだ。

そんなわけで、「元締め」が私腹を肥やすのは、「当たり前」なのが、オリンピックだから、なにを騒いでいるのか不思議なのである。

こんなことをしていたら、国際オリンピック委員会から嫌われる。
彼らには、なんの罪の意識もなく、貴族の特権を脅かす、ヘンな国だと認定されるだけだ。
これら委員のひとたちの優雅な暮らしは、日本人の想像外だ。

さてそれで、選手たちに与える食事の材料は、競技前と競技中なら、残念ながら「輸入食材」が中心で、競技後の「ご褒美」として、国産食材の料理が与えられた。

これは、国産品の「格」が上ということではなくて、国産品が国際基準を満たさないための「苦肉の策」だったのである。

なにしろ、「ドーピング問題」から、選手の体調管理から、試合前には「いつも通り」が重要なのである。
だから、いつも通りが日本国内で提供できないなら、空輸してでも持ち込むのが「ふつう」なのだ。

この「いつも通り」を表すのが、国際基準とその「規格認定」なのである。

さて、いつもの買い物でよく見かける「国際コード」は、たとえば、バナナやキウイに付いている。
これらは、基本的に「輸入品」なのでわかりやすい。

IFPS(The International Federation for Produce Standards:国際生産基準連盟)という「国際団体」が管理している、PLU(Price Look Up)コードがそれだ。

このコードは、4ケタか5ケタである。

もとは、小売店が販売管理や在庫管理をするためのものだった。
要は、レジ係と倉庫管理係とが「素人」でも簡単にできるようにするための「規格」なのである。

われわれの生活に不可欠な、農産物では、3000番台と4000番台が割当てられている。
なので、最初の数字が「3」か「4」なら、農産物である。
ただし、その下のケタはランダムなので、意味は素人にはわからない。

また、5ケタの場合、「9」からはじまるものと頭が「84」には、「有機栽培」という意味であるから、覚えておきたい。
逆にたとえば、「83」からはじまる「83000番台」は、通常栽培という意味である。

残念ながら、PLUコードでは、「遺伝子組み換え作物」についての区別がないが、「ない」ことを知っておくことも重要だ。
これには、「定義」の問題があるのだ。

わが国では、この4月から、遺伝子組み換え作物の区別についての規制が「緩和」されたので、消費者には「わかりにくい表示方法」となった。
これも、政権による「悪政」のひとつである。

すると、「消費者庁」という役所を設立した意味も、「ガス抜き」だとわかるのである。
むしろ、「消費者イジメ庁」とならないか?

『「規格」の父』と呼ばれているのは、第31代アメリカ合衆国大統領(1929年3月4日 – 1933年3月4日)だった、ハーバート・クラーク・フーヴァー(Herbert Clark Hoover)氏である。

このひとは、教科書では「大恐慌に無策だった無能の大統領」のごとく書かれているけど、当時の「古典派経済学」による政策提言に従ったまでだ。
それで、社会主義の「ケインズ経済学」を看板にした、フランクリン・ルーズヴェルトに破れたのである。

じつは、ケインズ経済学を世界で最初に「経済政策として全面採用した」のは、ヒトラーだった。
とにかく「穴を掘るとか」何でもいいから、公共事業をやって「有効需要を増やせ」として、作ったのがアウトバーンだったのである。

当時のドイツ人だって、マイカーなんてほとんど誰も持っていなかった。
それで、古典派は「破綻する」といったが、空前の好景気になったのである。
ただし、ヒトラーがケインズを採用したのは、「ヤケクソだった」節があるけど。

このことが、「独裁体制」を強固にしたのだった。

そんなわけで、「規格」がないと生活できない世界に我々は生きている。
曲がったキュウリが流通しないのも、規格のせいだけど、曲がったキュウリという規格を作らないのは、コード番号の「ケタ問題」があるからだろう。

5ケタとは、万の位だから、99,999個までしか登録できない。
世界中の農産物に、これで足りるはずがない。

最初に決めたケタ数に、じつは支配されてしまう。
これを増やす行為は、「データ・ベース再生」という、おぞましいコストがかかるからだ。

「世界規格」は、一見素晴らしいけれど、はじめに設定されたケタ数に、全人類が支配されることになってしまったことも、考え物なのである。
しかし、これが、「グローバル全体主義」の本質でもある。

だれがケタ数を増やそうといいだすのか?
だれもいないからこうなっている。

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