初売りの、「福袋争奪現場」の映像を観て、げにあさましき、と思ったので書いておく。
清少納言の、『枕草子』は、紫式部の、『源氏物語』と双璧をなす、日本では平安時代の傑作でしられる。
『源氏』が「小説」で、『枕』は「随筆(エッセー)」の、歴史的作品で、残念ながらヨーロッパで女性が文学作品を残すのは、彼女らから700年以上後になる。
日本人は3つの文字体系(漢字、平仮名、片仮名)を駆使する、世にも珍しい民族だ。
いまではこれにローマ字が加わって、4つの文字体系をもって「国語」としている。
一般に、「アルファベット」という、表音文字は、英語で26文字だと教わるもので、大文字と小文字をあわせれば、52字になる。
ただし、「読み方=発音」について前に書いたとおり、「文字の名前」と「発音」は別だという体系がある。
「ABCの歌(ABC Song)」でいうのは「文字の名前」で、「発音」と分けることを英語の先生がおしえてくれなかった恨みは深い。
何度も書くが、「T」と「h」、「i」、「s」で、「This」になったら、どうして「ディス」なのか?で、おおくの子供がつまずくようになっている。
国語として習った、ローマ字読みが通じないことだけは、子供だったわたしでも理解して、以来、英語とはいまだに馴染んでいない。
もちろん、アルファベットを用いる言語は英語だけではない。
たとえば、スペイン語は「27字」、ドイツ語は「30字」、ポーランド語は「32字」、ある。
そんなわけだから、外国人の日本語学習熱がマンガやアニメの「サブカル化」で、毎年ごとに「空前のブーム」になっているけど、「4体系の文字の存在」で、おおかたのひとがひるむのである。
日本で使われている漢字は、2010年(平成22年)に公示された、「改定常用漢字表2136字」ということになっている。
これに、おおかたの外国人には平仮名と片仮名が加わって、まずは呆然とし、さらにローマ字は発音に違和感ができるようだ。
しかし、平仮名と片仮名の表記に関する法則がきっちりしていないことで、とある外国人に、日本語でもっとも難しいのは、片仮名表記だといっていたことを思い出す。
このひとによれば、漢字は覚えるのは大変だけど、「部首」と「つくり」を理解して、ひたすら書き取り練習をすることでなんとかなるから、忍耐力が解決するけど、平仮名と片仮名はそれでは済まない難易度だという。
これには理由が二つあった。
一つは、外来語は片仮名表記にするという法則はよしとして、その片仮名がオリジナルの外来語とぜんぜんちがう発音なのだという。
たとえば、「アップル」と書いても、「Apple」の発音にならない。
なので、彼らの頭の中では、「Apple」を「アップル」と書くことが、たいへん困難だと。
もう一つは、法則がかんたんに破られてしまうことに戸惑うことだという。
たとえば、「アップル」と書くべきなのに、どうして「あっぷる」と書くことが許されるのか?
表音文字の言語のばあいは、おおかた文法が厳密だからである。
つまり、外国人には、「あっぷる」と「アップル」がおなじ「Apple」のことだとわかるのに、相当のタイムラグがあるという。
「あっぷる」とはなにか?がわからないのである。
ここに、「かわいい」という文化の理解がひつようになって、なんらかの理由でかわいい表現をしたいとき、片仮名が平仮名表記に変換される法則を発見するのだという。
日本人が「アップル」を「Apple」とそのまま英語で書くのは、やや堅い、フォーマルな表現なのだという法則にも気づくそうだ。
しかし一方で別のディープな日本語ファンの外国人には、マンガやアニメではなくて、『源氏物語』や『枕草子』を原文で読みたい、というひともいる。
関東の田舎者でそだったわたしや、わたしの周辺の友人に、ほとんど関西人がいなかったので、気づくのにやたら時間がかかったのは、やっぱり学校で習わないことだから、英語とおなじ、あるいは日本人としてはもっと深刻な恨みがあるのが「古文」だ。
平安時代の日本語は、言文一致していたのである。
なので、作品として残った文章は、そのまま「口語」でもあった。
すると、いったいどんな口調で読まれていたのか?もあるけれど、書き手の口調がそのまま記録されている、とかんがえるほうが先になる。
口調とは、発音のイントネーションとリズムだ。
つまり、(古代)京都弁にちがいない。
あたかも、標準語を基準に「京都弁」というけれど、ほんとうはえらく長い間、京都弁が標準語だった。
ゆえに、これら作品の「音読」には、いまでは京都弁の素養がひつようなのだ。
標準語のイントネーションで、「春は曙。。。。。」とNHKのアナウンサーのように読み出したら、味も素っ気もない「コンピュータ読み」となる。
「春」からして、標準語と現代京都弁はイントネーションがちがう。
使い捨ての「貼るカイロ」の「貼る」が、京都弁の「春」だ。
さては、「あさましきもの」の意味が、現代とは異なると辞書をみればわかる。
「取り返しのつかないこと」とかとあるけれど、ニュアンス的には「予想外で驚いた」ことが、のちに「みっともない」になったという。
いまの女子表現なら、「あきれちゃうわね」とか、「情けねー」、「あれれびっくりだわー」と、清少納言はいっている。
だから、「あさましい」と現代女子がいいだしたら、それは立派なことなのだ。
そんなわけで、「デジタル古語辞典」には、単語の「発音」を音声登録して欲しいだけでなく、例文にも正しいイントネーションとリズムがわかるような音声登録も欲しい。
このことは、外国語の英語辞書より、ずっと重要な機能なのではないか?
なにせ、日本人が日本語を忘れてしまうからである。
標準語で朗読するような、「あさましきもの」にしてほしくないのだけれど、取り返しのつかないことになっている?