あんがいとふつうに使われている「用語」には、略されたものがふつうになって「正規」の表現が忘れられてしまうことがある。
たとえば、「生産性」という用語がある。
これが、「政府の産業政策」になったら、「残業の削減」に落ち着いた。
もちろん、「残業代」は「割り増し」なので、経営者には「高くつく」ということだから、「産業を優先させる」という戦前からの方針を貫いた。
働くひとは誰だって、本当な残業なんかしたくない。
はやく家に帰って、職業人ではない自分になりたい。
けれども、正規の賃金がどんどん安くなったから、残業でもしないと生活ができないのだ。
たとえば、先進国の集団として、アメリカ地域(北米)と、日本に対抗してできたEUは、日本型社会主義をもっと尖鋭化させてとりいれた「EU委員会」という官僚組織が運営していて、「EU議会」は名ばかりの「参考」程度にするというやり方だ。
こんな無茶な方法でも、この30年の「成長」で、約1.5倍の経済規模になった。
なので、べき乗根(幾何平均)を計算すると、30√1.5≒1.0136となって、年平均で1.36%の成長だったことがわかる。
ちなみに、手許に関数電卓がなくても、「べき乗根 計算」と検索すれば、「計算サイト」が出てくる時代になっている。
もちろん、スマホ用の無料「関数電卓アプリ」はたくさんある。
さて、わが国は経済成長が「横ばい」という「世界で唯一」を30年間も続けているので、この意味は「インフレ分のマイナス成長」ということになる。
この「マイナス成長」を止められないのは、政府による間違った「成長戦略」があるのが理由なのだが、相変わらず政府による「成長戦略」を望んでいるから、貧乏になるのである。
つまり、政府の成長戦略とは、国民を貧乏にする戦略なのだけれども、実は正確に書けば、「政府自身の成長戦略」なのである。
すなわち、政府は「肥る」が、国民は「困窮する」という戦略である。
この場合、「継続は力なり」とはならず、「継続してはならない」になる。
そうやって慣れてきたら、残業をすることが「前提」となる。
つまり、残業代を稼ぐのが生活の維持に欠かせなくなって、これが、「ワーカホリック」という常識をつくった。
すると、残業をしないひとが「異常」に見えるのである。
もちろん、「ワーカホリック」とは、「仕事中毒」のことだから、異常者が過半を占めると民主主義では、「正常者」が異常者になる。
このことが、「新しい世の中」の本質的な構造であって、政府の戦略がこれを創っているのである。
それが「矛盾」が、「国家統計」という、現代社会の「基盤」を狂わせる「力学」になる。
もちろん、正確な統計データがある、というのは、「近代国家」の証であるから、国家統計が正確でない、というのは、近代国家に「まだなっていない」か「やめた:脱落した」ことの証となる。
厚労省データ改竄が問題になって、今度は国土交通省のデータが改竄だけでなく証拠となる過去データが削除されていることが見つかった。
あろうことか、自公連立政権が発足して以来、ずっと国土交通大臣ポストは公明党の独占だったので、いつもとはちがって、公明党が釈明しないといけない立場になっている。
べつに公明党を擁護するものではないけれど、だれも何も言わないでいるものに、「気象庁」(国土交通省の外局)だって、気象データの「廃棄」をしている。
それは、「アメダス」が出来てからとそれ以前とに分けて、「それ以前」のデータを廃棄したことだ。
興味深いのは、「それ以前のデータ」は、「農水省管轄」だから、気象庁が捨てても、農水省には「ある」にちがいない。
「農林漁業」のための気象データのことである。
これにも、やっぱり「政府が肥え」て、「国民が困窮する」というプログラムが前提にあって、ゆえにありもしない「地球環境問題」に大規模予算をつけることができるのである。
それを、放送法に違反してもNHKに「歴史的」とか「観測以来初」とかという、「アメダスができてから」を省略した「表現の自由」をやらせて、国民の脳を冒していても、監督官庁の総務省は無反応なのである。
つまり、政府の戦略なのだから、総務省の意向をNHKが放送しているにすぎない。
そんなわけで、公明党を批判することがこれまで「ためらわれていた」のは、その支持母体の影響力の大きさ故だった。
70年代に、あからさまな批判をした言論人の著作は、ことごとく「廃された」のは、誰でもしっている理由からである。
ところが、「少子」と「高齢化」で、この支持基盤が弛んできた。
おなじマーケット層の共産党も、まったく同じ理由から困っているのは、高齢者層しか支持者がいない、ということだ。
人口統計上では、時間の問題、になる。
だから、人口統計の偽造はしない。
政権維持「しか」脳理にない自民党という得体の知れない集団は、いつどのようなタイミングで公明党を「切る」のか?ということになってきて、「上策」は、おそらく「自滅」したかのようにするのだろう。
そうやって、親中べったりの「維新」と、旧同盟系の民社党が名変した「国民民主」とで連立すれば、あたかも「保守の取り込み」に見せることができるし、トヨタ系などの労組も同時に取り込める。
これが、「新しい資本主義」をいう、日本版「ポスト・資本主義」という話のお粗末である。