西村康稔(にしむらやすとし)経済財政担当相の地元である。
明石市、淡路市、洲本市、南あわじ市が小選挙区で、比例区は近畿ブロックがあたる。
最近のこのひとの発言は、本性にある、「強権」という牙をむき出しにして、国民に襲いかかっていると話題になっている。
かなりのバッシングがあったので、飲食店に酒類を提供している卸や小売店に、融資をさせない、といった暴言はさすがに撤回された。
しかし、どうも、飲食店に酒類を販売しないようにという、「要請」の名のもとの「命令」は、やる気のようで、与党からも疑問の声があるばかりか、「議員辞職」という四文字が出てきた。
「大臣辞任」ではない。
こうした「強権発動」に世論が反発しているのは、「健全」ともいえる。
だが、反応が遅い。
そもそも、どうして「経済財政担当相」が「コロナ対策担当」になったのか?
更にいえば、財務大臣がいるのに、どうして経済財政担当相が必要なのか?
このことは、厚生労働大臣がいるのに、コロナ対策担当大臣とワクチン大臣(本職は行政改革担当)がいることの不思議にもなっていて、なんだか知らないうちに、大臣が増えている。
たとえば、スポーツ庁長官がいるのに、「五輪担当相」とかもいる。
そして、なんといっても、これらの担当大臣の言い分に「エビデンスがない」という共通がある。
すると、「省」なりの役所が存在する大臣は、役人が提供する「エビデンス」に基づくけれど、「無任所」ながら大臣になったら、「エビデンス」を無視していいという独自ルールが、安倍内閣以来できたのだろうか?
西村氏も、河野氏も、見事な「暴走」をしているのである。
9月には総選挙をやらないと「いけない」状況にあるけれど、放置しても10月には「任期切れ」となるから、この秋は絶対に選挙がある。
こないだの「都議会議員選挙」では、中央政府の与党が過半数をとることができなかった。
現政権は、民主党(革命)政権から再登場した「旧体制」であったから、日本版アンシャンレジームとなって久しいのが「今」である。
それが、制度疲労による自己崩壊寸前にあるのは、「近代政党」としての「自浄力」が最初から「ない」からだ。
つまり、このブログで何度も書いてきたが、わが国の公党(国会議員を出している)たる政党に、近代政党がないことの国民の悲劇なのである。
あえていえば、公明党と共産党が近代政党といえなくもない。
ただし、これら二党が犬猿の仲の理由である、それぞれの思想の本質が全体主義であるために、「党内選挙」がないという欠陥がある。
西村氏は、無所属で出馬して、現職の自民党議員を破って初当選した。
その後、自民党議員となって、元職で元自民党所属議員を連続して降した経歴で、現在6期目である。
ちなみに、元職は比例当選もしていたが、いまはそれもない。
これぞ、自民党アンシャンレジームの申し子なのである。
「勝てば官軍負ければ賊軍」とはいうけれど、「民主主義」を最高の価値におく政党ならば、「党員による予備選挙」は必須の条件である。
自民党にはこの発想も、やる気もない。
手順としては、経産官僚を退職した時点で、西村氏は自民党の党員にならないといけない。
党員になるための条件も満たさないといけないのは当然だ。
そして、地元支部のなかでの「予備選挙」に出馬して、勝者となってはじめて「公認候補」となるのが「近代政党」のやり方だ。
これができない。
「小選挙区」になったから、自民党候補を複数出すわけにもいかないから、権利がある現職と、挑戦者たる西村氏が「本戦」で激突したのだ。
そして、勝った方が自民党所属になるという不思議。
大騒ぎしてつくった「選挙制度改革」(中選挙区制からの変更)は、政党の近代化を促進させる効果は微塵もなく、それを意図したものでもなかった。
むしろ、国民に「近代政党」を教えない、という了解が各政党とマスコミの間であったのではないかと疑うのである。
さらに、アンシャンレジームに都合のいい、「比例当選」なるインチキも作った。
選挙区で落ちたひとが、どうして復活するのか?
民意は「落選」なのだ。
こうして考えると、兵庫9区「だけでなく」兵庫県を超えた「近畿ブロック」とは、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県であって、昨年9月現在の有権者数は、17,159,657人もいて、当選枠は28人だ。
さてどうしたものかを考えれば、やっぱり「地元」の「判断」が基本であろう。
今度の選挙は、これまでにない「勝負」が、国民の側にかかっている。
その意味で、アンシャンレジーム政党を選ぶわけにはいかないのである。