学校のときの成績や受験による学校選択で,人生がおおきくかわる,というのは,国・地方どちらにせよ高級官僚になるならまだしも,専門職で生活しようとしたらほとんど関係ない.
むかし,法律でまもられていた「長期資金を提供する銀行」がわが国には三行あったが,ぜんぶなくなってしまった.
これらの銀行は,旧帝大出身者だけが事実上の幹部候補で,あとは切り捨てていたが,その特権をもった「幹部」のひとたちが「患部」になって,会社を潰してしまったという共通点もある.
それに,法律でまもられていたのに破たんしたから,法律ごと吹っ飛んだ.
ところが,こんな事実をしっていても,おおくの親たちは「いい学校」に入学させたいとかんがえている.
それは,漠然と「高級官僚」の「安定」が,子どもの将来に望ましいとかんがえているからにちがいない.
役所がダメなら大きな会社,いわゆる大企業志向はつきない,というわけである.
ところが,バブル前というずいぶんまえから,本当に優秀な学生は「起業」を目指していた.
エスカレーター式の「年功序列」のなかでは,飽き足らないという発想である.
しかし,日本企業の「年功序列」がほんとうに「年功序列」なのかというと,あんがいそうではなく、それなりに「実力主義『的』」なこともあって,在職年数をかさねながら,先輩後輩のあいだの縦の「序列」と,同期のなかでの横の「序列」が,本人のしらないところでさだめられていく.
これに,最後はトップ層の「好み」というおビックリが,年次の序列を無視して,「何人抜き」のおビックリな決定をくだすのである.
なんのことはない,「好き嫌い」ということが,最終決定要素なのだが,その決定リストに載らないと,はなしにならない.
そんなわけで,部長の声がきこえだすころには,本人たちもだんだんと「序列」がみえてくるようになっている.
民間なら一線をこえるのは,「取締役就任」ということになる.
取締役は,経営者になるから,使用人である従業員とは身分がちがう.
会社登記も必要なので,印鑑証明と実印を会社に提出することになる.
それで,晴れて就任すれば,まず一回目の退職金(割り増し)を手にする.
割り増しになるのは「会社都合」で従業員を辞めてもらって,経営陣に採用された,という手順だからである.
二回目は,役員退職慰労金,ということになる.
だけど,子会社がいっぱいある大企業なら,本社の役員を辞めても子会社の役員の口があるから,民間でもちゃんと「天下り」できるようになっている.
じつは,ここに役員の「年功序列」がある.
学校で成績がトップだった人物が役人になって,かれらが役所でやることのコピーが民間にされるという流れは,「予算」がはじまりかもしれない.
国家予算の編成を,民間企業がまねたからである.
それで,「天下り」も,企業がまねた.
日本の大企業が,ことごとく活力をうしなっていることの原因のひとつに,「安泰」という勘違いがあるからだとうたがう.
法律でまもられていた「長期資金を提供する銀行」は,潰れるはずがない,という「安泰」で,なんでもかんでも貸し込んで,ありえないほどの回収不能におちいったからだ.
ふつうの料亭の女将の投資に入れ込んだスキャンダルも,「安泰」こそが原因だ.
神ならぬ人間が,どんなに優秀ともてはやされようが,しょせんは程度がしれているものだ.
そうした「安泰」のなかに,学校教師たちもいる.
起業しようという方向とは真逆の,安定志向がえらばせる職業になっている.
しかしながら,当然,いまどきもしっかりした「先生」はいるのだが,彼らの抜きがたい壁は,教育委員会という官僚機構で,そのトップは教師ではない「事務官」なのである.
もちろん,その上には「文部科学省」という官僚機構があるから,教師は教師ではないひとたちから支配されていることになっている.
それで,あいかわらず「何をおしえて何をおしえないのか」をきめるのも官僚だという,国民学校時代からの「戦時体制」が継続している.
じつは,高級官僚になるひとたちは,学校時代に「勉強法」を修得している.
いわゆる,いまどきでいう「効率的な勉強法」である.
この勉強方法は,効果があって,勉強を難行苦行にしないから,ちゃんと成績優秀という結果がでるようにできている.
それで,この方法をみんなにおしえると,エリートがいなくなる可能性があるから,なるべくおしえないように努力する.
その結果が,「学習指導要領」という「命令書」で,ここには勉強法をおしえることなど書いていない.
その文部科学省の命令にしたがう必要のない「学習塾」という業界は,自由競争下にあるから,塾生の成績をあげる結果をださないと逃げられてしまう.
すなわち,「結果にコミットする」のは必定なのである.
各科目の授業の内容以前に,「勉強法」というノウハウの有無が,それぞれの科目の成績に決定的なインパクトをあたえるのは,当然なのである.
じつはこれ,企業業績の改善でもおなじなのだが,気づいている経営者はすくない.