前に「なんにも用事がないけれど」と、とぼけた書き出しの、内田百閒『阿房列車』のことを書いた。
蒸気機関車時代の東海道本線を、「特別急行列車」の「一等車」で東京から大阪に行きたくなったという話である。
目的は、一等車に乗ること「だけ」なので、大阪に着いても何もせず、引き返してくるのである。
ある意味、「ご当地自慢」のひとたちには、この上なく失礼な話なのである。
せっかいおいでになったのに、なんにもしないで帰るとは。
しかも、本人は、真面目に「観光を忌避する」のだ。
名所旧跡から、ご当地グルメまで、一切、興味がない。
しかしだからといって、「観光を否定はしていない」のは、とにかく「列車に乗ること」が当人には十分に「観光」なのである。
その意味で、「乗り鉄」という分野限定の「禁欲的な観光」を好んだということになる。
いまだって、「乗り鉄」はたくさんいる。
にもかかわらず、「乗り鉄」さんたちが満足できる「鉄道」や「列車」が減った。
これも前に書いたが、ウィスキー会社のCMで、地方を走る機関車がけん引する客車の「夜行列車」の昔の堅い木の座席に揺られながら、ズボンの後ろからポケット瓶を取りだして、ほとんど誰もいない社内で、そっとキャップに注いだら、一気に飲み干すシーンがあった。
おとなになったら絶対にやってみたい、そう思っておとなになったら、こんどは「夜行列車」が絶滅した。
絶滅した歌謡曲にだって、フォークソングにも、「夜汽車」は定番中の定番だったけど、「感傷にひたる」風情も絶滅してしまった。
なにしろ、窓が開かない車両がふつうになったから、駅弁さえもホームの売店で買う物になった。
窓まで届けてくれた昔の方が、よほど便利だったのだ。
お釣りのやりとりにドキドキしたのも、旅の風情であった。
いまや、社内販売さえ、「中止」に追い込まれて、これを「世界標準」だといって、変な比較の仕方をして正当化する。
そんなわけで、「速いがいちばん」というリニアな価値観も、どうも子どもっぽいのだけれど、「遅いのが困難」なのが、「システム最先端」の本当なのである。
じつは、「遅いけど安価」が、25年以上前から、とっくに困難な研究テーマになっている。
たとえば、宅配便。
一週間かかってもいいから安くしろという要求に、いまだ対応できないのは、ものの滞留には場所(土地)を必要とするからである。
『阿房列車』のように、移動方法自体が目的になったり、目的地までの移動が目的になったりと、変わるのは人間の「目的」で手段ではないばかりか、おなじひとがこれを使い分けている。
もちろん、だれにだってこの「使い分け」はある。
たとえば「100均」での買い物。
高級車で買いに来るひとがいるのは、おカネがないからではなくて、さまざまな目的があるからで、物欲だけではないだろう。
もちろん、おカネがないひとだって、高級ブランドバッグを愛用していたりする。
そんなこんなをかんがえながら、「旨いご飯」を食べたくなった「だけ」で、自宅から250㎞を往復してみた。
地元在住の皆様には申し訳ないけれど、この店の他に目的地はないのは、他に情報を知らないからでもあるのだけど、「事前期待値」が度を抜けて高いから仕方がないともいえる。
それでどうだったか。
「期待」を「裏切る」、驚くほどのレベルの高さは、まさに「突き抜けて」いた。
食したのは夫婦ふたりで、豚汁、ご飯、に小皿はシェアして、多種のなかから、マグロブツ、鯖醤油煮、とろろ、玉子焼き、というチョイスをした。
お題は、全部で2300円ほど。
街道筋の「定食屋」にしては、やや値は張るか?
しかし、人生で過去にない「旨さ」を経験したのである。
大満足の満腹で帰路についた。
目的は達したから「当然」である。
けれども、ご当地に興味はないことにも変化はない。
つまり、わが家にとっては十分な「観光旅行」なのであるけれど、ご当地の観光業の皆さんには「なんにも」ならない。
ただただ、帰路の自家用車の車中は、「盛り上がった」のである。
これが、利用客における「フォロー」の態度である。
そして、ひとは、「いいこと」を他人に語りたくなる、という習性をもっている。
その数、ざっと15人と計算しているひとがいる。
このブログの読者はもうちょっといるので、平均値のもっと上をいくことになる?
店名などは、是非コメント欄からお問い合わせください。
さてそれで、この「突き抜け感」である。
尋常ならざる「旨さ」を毎日のように提供しつづけることができる「仕事」は、「プロフェッショナル」のそれであると確信する。
こんな「旨いご飯」は、麻薬と同じ効果を持つ。
絶対に再訪したい。
すなわち、習慣性に近い、一種の「中毒性」をいう。
人生であと何回このご飯を食することができるのか?
すると、ちょっと意地悪な気分もしてきて、地元民が恨めしい。
けれども、地元民には「ふつうの味」にちがいない。
それがまた、嫉妬心をくすぐるのである。
われわれ夫婦には、往復500㎞の試練を乗り越えなければならないのだ。
地元民の「灯台下暗し」とはこのことである。
さては、「超うまの朝ごはん」を気合いを入れて毎日提供できるのか?
「旅館の要」はここにある。