江戸末期,黒船以降のニッポンを観察した外国人が書き残したものは,いま読んでも価値があるものがたくさんある.
「日本文化」を売り物にしたい旅館や観光業のひとたちは,これらの本とともに,研究成果をよく識っておくと,売れる「商品開発」ができるはずである.
にもかかわらず,不思議と再生の現場では,先月や昨年の「損益計算書」の分析にいそがしく,過去からの延長線上の方策に磨きをかける,という絶望的な努力がまじめにおこなわれている.
それで,とうとう力尽きると,二束三文で売却されるか,地元民が眉をしかめる廃墟になる.
いまどきの買い手は,そういった施設の栄光の過去をあっさり否定して,少ない投資でかつ短期間で,ぜんぜんちがう施設へと変貌させてしまう.
どちらに知恵があるのかは,いまさらいうまでもないが,なにが過剰でなにが足らなかったのか?が,さいごまで理解できなかったひとたちが,経営権を失うのは,ある意味従業員にとっては幸いである.
しかし,だからといってあたらしい買い手のビジネスが,どれほど素晴らしいか?についてもたっぷり議論の余地はある.
こうした問題の本質に,金融があることがあまり議論されていない.
金融機関が決めることだから,「仕方がない」といってあきらめているのだろう.
ところが,いま,その金融機関が存続をかけた危機に直面している.
従来どおりのビジネス・モデルがほとんど通用しなくなってきているからだ.
借り手にとって重要なのは,自社のビジネス・モデルが世間に通じるか?であって,これが支持されるなら,商売でつまずくことはない.
つまり,商売でつまずいてしまっているなら,それは、自社のビジネス・モデルが世間に通じていない,というメッセージを世間からもらっていると理解すればよい.
残念なことに,金融機関は国からの監視がきびしいから,なかなか独自経営が難しい.それで,全国津々浦々の金融機関が困っている.
おなじ土俵で競争せよ,というのはいいが,おなじ土俵の意味がおなじサービスだから,本来の競争にならないことに,ビジネスで競争したことがない役人は気がつかない.
それにくらべて宿や観光事業は,よほど自由がきくから,かんがえるのに規制官庁からの難癖はあまりない.
だから,どうしたいかをジックリかんがえて,あたらしいビジネス・モデルを最低でも机上でつくることか大切だ.
よく,「机上の空論」といってバカにする人がいるが,自社のビジネス・モデルを机上で紙に描けないなら,じっさいにそれがうまく動くことはない.
正反対の軍事だとて,机上演習,が重要な訓練なのは,じっさいを想定してサイコロという偶然からの判断ができなければ,本番で部下を死なせてしまうからだ.
だから,「机上の空論」はたっぷりやったほうがいい.
そのとき,江戸時代の生活をどこまでも研究するのが望ましい.
たとえば,当時の日本人の生活には「食卓テーブル」はなく,「お膳」だった.このお膳が簡略化されて,「お盆」になって,食堂の「トレイ」に変化したのではないか?
西洋にはテーブルがあって給仕されたから,「トレイ」を自分でつかうのは,学生食堂のイメージだろう.
だから,それなりのグレードのホテルや日本旅館の朝食ブフェで,プラスチックの「トレイ」を最初に渡され,これを使うのをなかば強制されることに抵抗があるようにみえる.
たしかに,外国のちゃんとしたホテルの朝食ブフェで,トレイが用意されているところをみたことがない.みなさん,「皿」を複数手に持って,何回も取りにいくことに抵抗はなさそうだ.
さて,この「トレイ文化=略式お膳文化」について,高単価外国人客をターゲットにしたとき,サービス方式としてどうするか?あるいは,あなたの宿としてどうあるべきであろうか?
あくまで,日本方式を貫くのか?それとも?
わたしのイメージは,ブフェ式なら必要ない.
定食式なら,「お膳文化」がわかるような形状のトレイを選びたい,といったところだ.
なお,ブフェ式でトレイをやめて,皿にいくつかのくぼみがついている食器が用意されていることもある.これこそ,外国の学食のようだから,個人的には余計なお世話=過剰サービスだと感じる.
ほらほら,異論がありそうだ.
そのとおり,正解はないからかんがえ方次第でいくらでもバリエーションがあるのだ.
日本のお膳文化と,外国のテーブル給仕文化のちがいが発端だからだ.
さて,この議論,机上の空論なのだが,サービス・スタンダードとして現場要員数まで決まることになるから,どうでもよい話ではない.
「机上の空論」を従業員とたっぷりできる企業文化あってこそ,自社のビジネス・モデルを他人に説明できる素地ができるのである.
この,自社のビジネス・モデルに,本来は融資という信用がつくのだ.
バンカーは,顧客のビジネス・モデルを読み解きそれに価値を見いだせるかが問われるはずが,相変わらず不動産担保が融資根拠なのだから,AIに追い込まれるのは当然である.
しかし,「机上の空論」ができない企業は,実業として追い込まれてしまう.
ムダの代名詞としての「机上の空論」は,うそである.