「課題先進国」というチャンス

日本が、国家として、政府として、あるいは、日本国民の生活として、あらゆる「課題」を抱えているのは、その種類の「多さ」だけでなく、「深さ」についても、「世界一」という状況にある。

これを、「課題先進国」という。

しかし、多くの「課題」は、ずいぶんむかしから「わかっていた」ことだ。

たとえば、「超高齢社会」の文字が新聞の一面大見出しで出たのは、わたしが二十歳のころで、大学の同級生や先輩とこの記事の内容について話したことが記憶にある。

記事には、「40年後」と書いてあって、なんだか他人事のようにおもえたけれど、全員が自分の年齢に40を足して、「おい、俺たちのことだ」といって、顔を見合わせたのだった。
それがまた、全員、眉間に皺を寄せていた。

結局のところ、「人口問題」とは、「数学」なので、40年経ってみて、あの記事に間違いはないことが確認できる。
方程式にする計算の前提条件に、変化が「なかった」からである。
だから、当時の方程式通りの「答え」となっただけなのである。

すると、この前提条件とは、いったいなにか?が、「問題」となって反ってくる。

ことが人口にかかわるのだから、最小単位は「夫婦」とか、「結婚」にまつわることになる。
そこから、「家族」ということになる。
また、これらのことの根源に、「人生観」の集合体というものがある。

つまるところ、日本人の人生観が、40年前の「予想」と変化していない、という驚くべき結果が「数字」になっているのだ。

80年代の日本人は、なにをかんがえていたのか?
このときの「日本人」とは、誰だったのか?

「現役世代」の定義も、いまとはちがう。
「定年退職」で、きっぱり「退職」していた(年金受給の都合で、退職できた)し、その定年時期も、まだ「55歳」の時代だった。
60歳になる、「過渡期」なのである。

すると、たとえば、85年当時なら、1930年(昭和5年)生まれまでが「現役」の最高齢となって、高卒から現役がはじまるとすれば、1967年(昭和42年)生まれからの範囲となる。

爺さんたちが仕切るのが、わが国の政財界の常識なので、この時代の爺さんとは何者か?をみると、70歳で現役経営者・政治家としたら、1915年(大正4年)生まれだ。
80歳まで広げたら、1905年は明治38年となる。

ちなみに、明治38年9月に「ポーツマス条約」で日露戦争が終わったけれども、すぐに「日比谷焼打事件」になって、「戒厳令」がひかれた、いまとはぜんぜんちがう日本社会であった。

だから、わが国80年代の「絶頂」も、20世紀のはじめに生まれたひとたちが「つくった」ともいえる。
すると、バブル経済の後始末は、それから「後」の世代による「判断」となっている。

たとえば、トップが10年若返ったとすれば、1925年(大正14年)生まれとなるけど、時代も進むから、90年代はじめの「交代」なら、10年下でも75歳になっている。
それでやっぱり、70歳を選ぶなら、1930年(昭和5年)生まれぐらになったのである。

努力義務として、60歳定年制がいわれだしたのは、86年からで、「法制化」は、94年のことである。

すると、組織としては、この頃に30年代生まれがどんどん定年退職の対象になって現役を退いたから、企業の部長級幹部は、昭和二ケタ世代に移行することになったし、役員会は30年代のひとが昇格したといえる。

そんなわけで、平成の停滞は、大正末期から昭和生まれの仕業、ともいえるのである。

しかして、わが国の「人事」で最重要な出来事は、GHQによる「公職追放」であった。
これによって「排除」されたのは、20万人以上、という「異常」である。

それで、中堅層からトップに据える人事を余儀無くされることになったので、「三等重役」が世にいわれることになったのである。
それが、源氏鶏太の『三等重役』で、映画化もされ、森繁久彌の出世作となる。

この「三等」ぶりが、経営者となって「威張った」ので、真性の亜流人物たちが社会を牛耳るという、マンガがリアルになって、呆れた「元同僚たち」が、「労働争議」を起こしたのだった。

故渡辺昇一教授は、これを、「敗戦利得者」と呼んだ。

そんなわけで、わが国のエリートたちの「譜系」は、公職追放という「断絶」を無視できない状況にあったものが、「三等重役」によって、「低レベル育成」されて、平成時代を過ごした。

これが過ごせたのは、前の世代がつくった「遺産」の「食い潰し」であったけど、とうとうかじるものがなくなってきたのが、「令和」なのである。

「堕ちよ、堕ちよ」と「底入れ」を意図した、坂口安吾のごとく、いま、「底入れ」なのか「底割れ」なのかの「分岐点」に立っている。

底入れならば、大チャンス到来。

世界の混沌も、底入れをすべく動きだしている。
それが、「ナショナリズム」で、底割れさせて一部が支配する世界をもくろむのが、「グローバリズム」だと、だんだん霧が晴れて明確になってきた。

世界一の課題先進国とは、裏返せば「リーダー国」になることを意味する。

こんどこそ、三等重役ではない「一等」を据えないといけないのである。

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