日本の戦争責任を誰に、どうやっておっかぶせるのか?
この命題を解決しないと、戦勝国として自国民への説明責任が果たせない、と殊勝なことをかんがえたのも、ウソである。
どうせ薄い理解しかできない一般国民だから、「敵」をつくってみせてやれば、「そいつらを縛り上げろ」という声になって、かしこまりました縛り上げます、と政府がいえばおさまるのである。
この意味で、ヒトラーやスターリンがやったことと、米・英・仏の西側がやったことは、おなじなのだ。
英国は、清教徒革命(1640~60年)とか、名誉革命(1688~89年)とかがあったし、アメリカは独立革命(1775~83年でパリ条約により独立、別に「独立戦争」ともいう)があって、それからいうまでなくフランスはフランス革命(1789~99年)があった。
これにロシア革命(1905~17年)と、辛亥革命(1911~12年)を経ての共産革命があったので、なんのことはない、国連安全保障理事会の常任理事国は、ぜんぶが「革命経験」をしているのである。
これら革命の、「順番」に注目してほしい。
それで、欧米かぶれした日本人も、幕末動乱から明治維新と戊辰戦争(1868~69年)に、西南戦争(1877年)までの一連をセットにして、革命にしたがるのである。
この「かぶれ」が、極左も極右もおなじなので、また始末に負えない。
明治維新とは、わたしからいわせれば、極左なのに「国民作家」とされた、司馬遼太郎が描いて国民を洗脳したような物語ではぜんぜんない。
将来ある若いひとには、司馬遼太郎作品をみない方が、脳のためになるといいたい。
戦後でいえば、似たような「毒作家」に、たとえば、城山三郎とか、山崎豊子がいるけれど、たくさんいすぎて特定するのも困難だ。
こないだ物故した、大江健三郎は、この意味で「毒が薄い」のは、最初から「猛毒」だとしられているので、まともなひとなら近づかないからである。
もちろん、こんなことになったのは、言論統制の成果であって、自ら率先垂範したマスコミの罪は重すぎる。
すると、有名作家とか人気作家というのも、「作られたもの」で、売れるためには言論統制の意図に従うことが近道となる。
これを、「売文」そして、「売文家」というのである。
江戸期には、幕府による言論統制があって、明治から敗戦までは内務省と陸軍(憲兵隊)が担当し、戦後はGHQ民政局がとってかわった。
戦時中の「伏せ字」にみる検閲の痕跡は、GHQの巧妙さで戦後にはわからなくなる。
それがすなわち、いまもある「放送コード」なのだった。
田中角栄がやった、民放テレビ局を戦前の統制下で各県1紙とした地方新聞社の子会社にしたのは、「放送コード」を新聞にも適用させる方便だった。
角栄の「出世」は、アメリカのポチを演じることで達成され、叛旗を翻した途端に失脚させられたのだった。
つまり、アメリカ人は、報道をプロパガンダに変換させる方法を熟知し、応用していたのである。
人間とは「媚びる能力開発」も自らに課すことができるので、戦前・戦中にも、政府や軍に媚びる記事を書くことで、社内の内部検閲をクリアした。
この「社内検閲」が、内務省や陸軍憲兵隊の「検閲担当官」よりも厳しくなるのは、現代の「教科書検定」とおなじ構造なのである。
そうやって、検閲官がおもわず「やり過ぎ」と感じるような激烈になって、より極端な世論が誘導される。
これこそが、検閲官の上司が意図する、「自主管理」なのだ。
そんなわけで、学校で習うことの「ウソ」は、かなり悪質に変容するようになっている。
しかして、ヒトラーがいった有名な一言、「ウソも100回いえば真実になる」が、現実になる。
一口に「戦前」とはいつのことなのか?
第一次大戦後の不景気(作りすぎて売れない)に、関東大震災が国家予算を吹き飛ばして、その後の天候不順がトリガーの昭和恐慌となって、すぐさま世界恐慌が津波のようにわが国経済を破壊した。
赤い事務官僚と赤い軍事官僚が結託し、阿片で稼ぐ民間人を引き入れて成功させた、満州国の経営を本国で本格実施したのが岸信介をブレーンにした、近衛文麿内閣だった。
彼らは、資本家を追い出して、資本家のいない株式持ち合いによる企業経営を実現し、同様に、大地主を農業生産から追い出して、名誉と地代収入だけの生活を強要した。
なので、GHQがやったという、財閥解体も、農地解放も、戦前・戦中でやっていたことの、用語の切替にすぎない。
財閥から、オーナー一家の株式を奪って、これを一般販売したことだけで「財閥解体」といったのだ。
「企業群」としての財閥は手つかずで残ったし、かえって官民あげて、GHQを利用したのである。
まるで、タヌキとキツネの化かし合いなのだった。
絶対権力だったGHQが、タヌキに欺されたふりをしたのは、高度な目的達成と合致したからである。
これを、無邪気にも「日本人の優秀性」というのは、いい加減やめた方がいい。
それよりもなによりも、20万人も対象になった、公職追放で、ふつうに偉かったひとたちが強制隠居させられて、GHQのポチになった偉いひとたちは、敗戦利得者として社会的にも経済的にも地位を得たのだった。
平成の停滞を超えて、令和のいま、叩き売りとして、本当の財閥解体が行われている。
日本経済の「強み」だった、安定の制度、大企業の株式持ち合いが解消された結果なのである。
この方式をかんがえついた赤い官僚たちの優秀さを自慢する歪みと、新自由主義の思想を歪めた、「自由放任」を主張した歪みが、いまの衰退をつくっている。
歪みの二重らせん構造が、日本を蝕んでいるのである。