いなづま事故とハインリッヒの法則

海事事故は、いったん起きると被害もおおきいものだけど、今般の海上自衛隊護衛艦「いなづま」による10日の座礁事故は、自力航行不能になったとはいえ、まずは人的被害がなく不幸中の幸いであった。

テレビも観ないし新聞もとっていないから、第一報からはじまって、続報をみるのはもっぱらネットのニュースだけという状態だけど、所詮は地元紙とかの新聞社が配信している記事なので、基本的にそこでの「解説」は信用していない。

たとえば、中国新聞が12日午前に配信した記事には、「海のプロとしてありえない事故」との見出しになっている。
厳しい叱責は、新聞社が伝統とするところの修辞だけど、これ見よがしの書き方は、事実を伝える、という原則から逸脱している。

この事故のどこが「プロとしてありえないのか?」についての記載は、「浅瀬への単独座礁」だけをみているからだろう。

しかし、この記事でわたしが注目したいのは、その文末にある。

「防衛力の大幅強化を巡る議論の中で、自衛隊の装備や訓練などの在り方もさまざまに問い直されるだろう。国民の安全を守るどころか不安を与えるようなミスは自ら信頼を揺るがすことを肝に銘じてもらいたい。」だ。

最後のシメの文ではなくて、「防衛力の大幅強化」からはじまる、なんとなくお決まりの文章の方だ。

これが問題なのは、戦後の安逸なる状態から、とうとう本気で防衛努力をしないといけなくなった、という「大変化」(「事情変更の原則」がはたらくほどの)に、ほんとうに対応する覚悟が、当の自衛隊幹部だけでなく、国民にできているのか?ということが含まれるからだけど、この記事でいいたいのは、忘れなさい、という方の意味になっていることだ。

また、この記事では「前日まで定期点検を受けていた」ことと「試験運転で乗組員とドック関係者の計190人を乗せ」とあるが、同日夕方の別の記事(テレビ新広島)では、「時速およそ55キロで航行していたとみられ、最大速度であった可能性もある」と報じている。

「時速55キロ」とは、「30ノット」と換算できる(1ノット≒1.8キロ)から、いわゆる「最大戦速」(ふつうは機密なのでほんとうはもっと?)を「試験」していた挙げ句の座礁事故とみるのがふつうだろう。

前日までの定期点検で、ドックの関係者(民間人)も乗艦しての試験で、最大戦速(らしき)をだしたとは、いったいどんな点検をドックでしていたのか?
しかも、こんな(超)高速航行試験を、どうして狭い瀬戸内でやったのか?が気になるのである。

いってみれば、狭い路地裏で高速運転(暴走行為)を試みたら事故った、ようなことになって、プロとしてありえないではすまないことになってしまう。
なお、スポーツ・カーもそうだけど、「速い」と「止まること(制動力)」はセットだ。

水上艦船は、たとえエンジンを止めても、水との惰性で何キロも滑るように進んでしまうから、スクリューを逆回転させてブレーキとする。
なので、「ゴー&ストップ」の試験をしていたのではないか?

だから、なんだか、地元紙の瀬戸内を行き交うフェリーが座礁したごとくに、「海のプロとしてありえない事故」と書いたことの方が、「プロの取材としてありえない記事」に読めるのである。

ほらね、新聞やマスコミは信用できない。

縁あってわたしも、横浜港の回漕業の安全対策にかかわったことがある。
ここでの基本は、「失敗学」からの学びであった。
「安全工学」という分野があるのだ。

とくに、労働災害の分野では、有名な「ハインリッヒの法則」がある。
それは、1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常(ヒヤリ・ハット)が存在するというものだ。

そのために、現場では、ヒヤリとしたこと、ハットしたことを書き出して、その原因を探るのである。
これをまた、「安全ルール」として、なにをすればよいか、なにをしたらいけないかと二方向から洗い出して、実務規則にする。

ばあいによっては、違反者に罰則も課すのは、とにかく「安全第一」だからである。

そんな目線で、この事故をみると、部外者にはわかりにくい自衛隊という組織の問題も見え隠れする。

単独の座礁事故だから、あたかも艦長以下の操艦に問題があるのは否定できない。
しかし、組織として果たして艦長の権限はどこまであるのか?という問題が対象から漏れていないか?

意図的な(暴走)試験海域を艦長の権限だけで勝手に指定できるのか?という疑問である。

当然に、司令部の許可ないしは指示・命令がないとできないのではないか?
戦時ならともかく、いまは平時である。
自衛艦の航行が、艦長(本件艦長は2佐)の独断でなんでもできるとは、とうていおもえない。

つまるところ、艦長といえども、「中間管理職」ではないのか?ということに思いを馳せれば、陸上には「司令部」やら「総監部」があって、かならず「将官」がいる。

このひとたちは、いったいなにをしていたのか?

そんなことを調べていたら、「オオカミ少佐」というYouTuberが登場した。
このひとは、元海自隊員だとして、本件事件をするどく分析・解説している。
ハンドル名から推測するに、「3等海佐」で除隊したのか?

まったく、ジャーナリストを自称する「プロ」は役に立たないが、このような「元職」が発信する情報にはリアルな価値がある。

わたしの父は旧海軍のレーダー兵だったことを、生涯自慢していたけれど、軍内部の組織のことなどは、いちいち説明しなくともわたしが理解していると思いこんでいた。

それに、父の自慢は、駆逐艦乗りだったことで、そのスピードは「溶接艦」がふつうのいまとちがって「リベット留め」の鎧のようにしなる旧海軍の造船技術の方がはるかに優れていたとしきりにいっていた。
アメリカの軍艦は、ぜんぶ溶接だから折れるんだとバカにしていたものだ。

機密だから上官に聞いても正確には教えてくれないが、ガクンと体感する最大戦速時の加速度からも40ノットは出ていたかもというから、過去の駆逐艦はいまの護衛艦よりはるかに凄いかもしれない。

艦体がギシギシときしんで、船首や艦尾からみたら、艦全体がバナナのように反ってしまう(荒天では上下にも)ことでの運動能力は、空の「ゼロ戦」が有名だけど、日本艦の凄さは格別だったという。

軍の組織やしきたりに、そんことしらないよ、というと、えらく驚いたのは、あの世代の常識だったからだろう。
いい悪いは別にして、徴兵もあったから、一般人には軍を経験したひともふつうに混じっていて、軍との距離はいまよりずっと近かったとかんがえるのが妥当だ。

すると、我々は、陸・海・空のどの自衛隊であろうが、内部の組織規定からなにからをぜんぜんしらないままでいる。
このことの方がよほど異常なことなのだ。

だから、冒頭記事の「防衛力の大幅強化を巡る議論の中で、自衛隊の装備や訓練などの在り方もさまざまに問い直される」ことのなかに、さまざまな情報公開(当事者たちの常識も)があってしかるべきなのである。

そうでなければ、ぜんぶの事故責任が、ありもしないのに艦長の責任にされてしまう。

すると、もはや民間で大問題になっている、「管理職になりたくない症候群」が、国防の最前線で発生することになって、おそるべきブーメランを国民がくらうことになるのである。

そんな状況にしたい、のがマスコミの病理なのだし、もしや自衛隊の将官たちや高級防衛事務官たち、あるいは与党の「とかげの尻尾切り」があるならば、もっと悲惨な組織への疑惑が自衛隊そのものを瓦解させてしまうおそれがある。

ここが、この座礁事故の最大の問題で、その構造がハインリッヒの法則なのだ。

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