鴨長明と同年になったのに

西洋の古典について、古代ローマ帝国の賢人セネカは、「ぜんぶ読む価値がある」と書いた。
紀元前5年に生まれ紀元後65年に教育係として育てた皇帝ネロから、「死を賜った」ひとで、著作に『人生の短さについて』とか『読書論』などがある。

 

ここで誤解してはいけないのは、彼のいう「古典」とは、当然彼が生きていた時点からの古典なので、もっぱらギリシャ哲学の古典を指す。
すでにローマ時代に氾らんしていた、ゴシップ風の読み物を指してはいない。

つまり、むやみやたらに、多読をせよいったのではないのだ。
むしろ「時間」という資産を大事にすることに拘っていて、ベンジャミン・フランクリンがいった、「Time is Money」の原点を謳っている。

キリスト教とギリシャ・ローマの哲学が、西洋の基礎にあることがよくわかる。

もちろん、いまではセネカの著作そのものが、古典になっている。
しかも、ストア学派の巨匠としてである。
けれども、このひとの人生も決して「枯れた」ものではなく、むしろあんがいとギラついていたのは、西洋人だからか?

あくまでもセネカの主張にもどれば、古代ギリシャ哲学の西洋世界に与えた影響の巨大さを考えざるをえないけど、それならわが国のみならず、「本場」の専門家をうなずかせた碩学、田中美知太郎(1978年文化勲章)がいる。
このひとの著作は、絶対安心のものばかりだ。

それで、田中美知太郎は慶應の小泉信三とともに、サンフランシスコ講和会議に賛成した学者であった。
なお、このふたりは、どちらも空襲(田中は広島原爆、小泉は東京大空襲)で全身大火傷を負って、顔にも大きくケロイドが残ってしまった共通もあった。

保守系といわれる「日本文化会議」を創設し、かつての「反体制雑誌」といわれた、『諸君!』(文藝春秋:1969年5月号~2009年6月号で休刊)の執筆陣を形成したものだ。

2000年代になって、文藝春秋社の社内でなにがあったかはしらないが、急速なる「左傾化」があって、学生時代からの定期購読者だった一般読者のわたしでも、『諸君!』の論説の曲がり方がハッキリわかったので、休刊の2年ほど前に契約を解除して、高校以来読んでいた本誌の『文藝春秋』も読むのをやめて今に至る。

それが急ブレーキだったから、目がさみしくなって、『WILL』とか『正論』とか『VOICE』をみていたが、その論説の「甘さ」が煩わしくなって、結局ぜんぶ読むのをやめた。

中吊り広告の見出しをみただけで、薄い論説の内容が透けてしまうのだ。

学生のとき、遠距離通学だったので、電車のなかで『世界』とか『前衛』も読んでいたけど、すぐに飽きたのは、我ながらあっぱれである。
さいきんでは、もっぱら通勤時間帯に電車に乗ることも少なくなったが、車内で新聞をみているひとを見つけると、なんだか気の毒になるのである。

そんなわけで、中東や西洋よりも進んだ文明社会だったのは、地球上で日本しかないということが、近年の発掘から明らかになって、もはや「縄文文明」は、古代エジプトやらメソポタミアやらインダス、黄河を凌駕していたことはまちがいない。

時の政府が歴史を作るために作った、『古事記』、『日本書紀』は、その前の歴史を消去する作業も同時にやっていた。

この両書が、似て非なるものになっているのは、一般向けの『古事記』に対して、学者向けともいわれる『日本書紀』のところどころの脚注に、異論を想起させる記述がコッソリあるからだ。

ぜんぶ作り物です、と書くわけにはいかない当時の事情(しっているひとがいる)がうかがえる、というわけである。

しかしながら、「焚書」もやったらしいし、ついでに日本オリジナル「文字」も捨てたのではないか?という疑義がある。
それで、「古代文字」の研究が注目されて、学会が認めない『ホツマツタヱ』の民間研究がおこなわれている。

面倒なのは、歴史学会の方で、こちらは、GHQの指示通りを「保守」しているから、反日を標榜する外国と歴史解釈について共同研究をする、という不可能を可能にすべく(政治)活動をしているムダがある。

さて時代を新しくして、日本三大随筆といえば、『枕草子』、『方丈記』、『徒然草』だ。
西暦でいえば、『枕草子』がちょうど1000年頃(平安中期)。
『方丈記』は、1212年(鎌倉前期)で、『徒然草』は、1330年頃(鎌倉末期)という。

『方丈記』が断定できるのは、著者がちゃんと最後に日付を書いているからだ。
ただし、原本は発見されておらず、写本としての最古が、醍醐寺の親快という僧侶が1244年に残している。

作者の鴨長明は、「鴨氏」だから、さかのぼれば「秦氏」になって、いわゆる渡来人の系統ではあるけれど、もっとも天皇家に近い「賀茂神社」との縁があるし、これが原因して「隠棲生活」となったのである。

もちろん秦氏には、ユダヤ失われた10士族、にあたるのではないか?という説がある。

そうしてみると、この傑出した随筆(名文)を800年経っても読めるのは、賀茂神社の神官に就任できなかった本人の不本意が根底にある。

それでもって、鴨長明の年表で没年齢をみたら、なんといまのわたしと同年だということに気がついた。
なるほど、高校生に理解できない「枯れた感じ」は、いまこそしっくりくるものだ。

そして、とうていこのひとの教養に逆立ちしても追いつけないことに、打ちのめされてしまったのである。

それで、セネカの『人生の短さ』が、沁みてきた。
『方丈記』を高校生に教える前に、セネカに言及すべきだろう。
なにしろ、古今東西、健康な若者は人生が長く退屈だと信じているものだからである。

そうやって、「不惑」から「還暦」ともなれば、いかに人生が短いものかにだれもがたいがい呆然とするのである。

下記は、前半は現代語訳にしてマンガ、後半は原文注釈付き、さらに養老孟司先生の解説まである「豪華本」があるので、自分の人生に呆然としたいひとにはお薦めである。

むかしの「成人の日」に。

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