すばらしき!権威主義

政治形態で「権威主義体制」という区分がある。

民主主義と独裁の「中間」に位置すると解されている。
具体的には、権威に対して盲目的に服従する個人や社会組織があってこそ、という意味でもあるので、底辺から支えているのは「民衆」と、民衆がつくる組織である。

これに、権威主義者としての自信に満ちたトップが存在しないといけないので、体制として成り立つには、双方が同時に必要となる。

マスコミによる情報統制下のわが国に、漫然と暮らしていると、わが国の常識が世界の常識なのだ、という、とてつもない勘違いに気づかない。
もっといえば、気づかせないための努力がマスコミによって行われていることさえも気づかない。

たとえば、ちょっと前、つまり、携帯電話とかの通信手段がなかった時代の電車の中は、新聞や書籍を読んでいるひとをおおくみかけたし、わたしもそのなかの一員だった。

いまは、圧倒的にスマホの画面をみつめていて、いわゆる「コンテンツ消費」をしているのである。
そのなかには、無料ゲームに熱中しているひともいる。

わたしよりもはるか「上」の世代は、「タダほど高いものはない」とよくいっていた。
無料の裏にある、「騙し」や「意図」を見極めようと、いったん立ち止まってかんがえることをしたのだ。

これが突きくずされたのは、街で無料配布されていた、ティッシュを広告媒体とした方法で、怪しげなチラシではなくてティッシュをタダで貰うことが、「変なこと」でなくなったことにあるとおもっている。

ティッシュをとる側の面には広告がないから、この面にそろえて積んでおけば、ふつうに「ポケット・ティッシュ」にみえたことが、警戒心を薄めて、実用になったのである。
そうなると、今度は、手をだして貰うようになる。

だから、広告媒体としての効果がどうなったのか?は、かなり薄くなって、むしろサラ金会社とかにとっては、「経費消化」という、「節税」に目的がかわったようにもおもえる。

しかし、世界ではそんな日本の常識とはちがうことが起きる。

たとえば、ソ連崩壊後の極東ロシアという「辺境」(いまもモスクワやサンクト・ペテルブルクなどからみたら変わりない)では、日本の街角でタダで配られていたティッシュに驚愕したひとが、これを真似て広告会社をつくった。

すると、ポケット・ティッシュをみたこともなかった「旧ソ連人」というだけでなく、「絶対的物不足」がふつうだったから、タダで配られていることに驚いたばかりか、「いいひと」になったのである。

ちなみに、社会主義(共産主義・全体主義)計画経済が、その社会に絶対的物不足をつくりだすのは、「価格」という情報が完全に統制されるために、需要と供給の大原則が機能せず、おカネがあっても物がない、ということになるので、全員が平等に行列をつくって配給を得るしかなくなるのである。

そんな社会しか経験のないひとたちが、突然、街でタダで配られているティッシュが、宣伝・広告が目的だという意味が理解できなかった。
それで配布主=広告主が、生活に有用な物資をタダでくれることに感謝して、圧倒的な信用を得るという、おそるべき広告効果をだしたのである。

ロシアをはじめ、旧ソ連を構成していた、それぞれの「共和国」が、独立して、それらの国がこぞって「権威主義体制の国」になった背景に、もうひとつの「悲惨」があった共通も見逃せない。

それが、「経済の自由化」と、「政治の民主化」が、コントロールされることなく、雪崩のように社会を席巻したことの「混乱」だった。
なんと、ロシアは、成人男性の平均寿命が、ソ連崩壊から10年間で、10歳も「縮んだ」のである。

この「隣国」の「悲惨」を、われわれ日本人はしらないままでいる。

寿命は延びるもの、としてしかかんがえられないのが、現代日本人の病的ともいえる想像力欠如だ。
縮むとは、いかなる事態が社会に起きたのか?

いわゆる、エリツィン時代、ロシアは英米の企業によって、「経済植民地」になったのである。
そこで誕生したのが、これら企業と結託した「新興財閥」だった。

社会主義計画経済しかしらないひとたちが、自由化すればとにかく豊かになるということが、「幻想」だったのは、自由主義経済の本質をしらないという、決定的問題に国民が気づかなかったことをしっている英米企業に、食い物にされたということだ。

これを、排除して「安定化」させたのが、「権威主義」だった。

その申し子のひとりが、プーチン氏に代表されているけれど、旧ソ連の国々は、ほぼおなじくどこも「権威主義」に染まっていることの原因が、上記のごとく共通しているからである。

そういえば、ほぼ10年前、日本の街角のあちらこちらに、「安定は希望です」という、政権与党のポスターが貼られていた。

この政党が、まったくもって、旧ソ連の国々とおなじ「権威主義」で構成されていることに注目すれば、社会をいったん「不安定」にすると、国民から安定を求めて権威主義に突き進むメカニズムをしっているということになる。

なるほど、どんどん国民が貧乏になるようにしているのは、「このため」なのだ。

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