NHK教育テレビが,2011年から「Eテレ」と自称しだして,ぜんぜん教育的でなくなった感があるが,そのNHKが発行している「NHKことばのハンドブック」に「Eテレ」は馴染むのだろうか?とおもってしまう.
もっとも,それをいえば,いまの「テレビ朝日」は,1977年まで「NET(Nippon Educational Television)」と言っていたし,放送免許も教育番組を50パーセント以上、教養番組を30パーセント以上放送するという条件だったから,放送行政そのものもいいかげんなものだ.
まだ「教育テレビ」と言っていた1985年1月に,「教育テレビスペシャル」という大型シリーズ番組で,「人間は何を食べてきたか」という素晴らしく教育的な番組が放送された.
このシリーズは,五本が五日間にわたっての毎日で一気に放送されたから,なかなか全部を制覇できなかった.
ありがたいことに,横浜にある「放送ライブラリー」で,いまでも鑑賞することができる.
このシリーズは,「人類」という意味の「人間」がテーマだから,はなしが壮大である.
それで,自分の生活史レベルになると,まずは「日本」に絞らなければならない.
そこで,ご先祖さまが何を食べてきたか?となれば,すぐに思いつくのは「郷土料理」である.
「伝承写真館 日本の食文化」(農文協:全国12冊シリーズ)がでたのが,2006年だから,すでに暦は一巡している.
それでか,いまみると,写真がずいぶん古くみえる.
写真だけならいいのだが,かんじんの地域の伝統食も「古くなって」,もう再現できなくなっているものもあるかもしれない.
それで,もうすこし角度をかえて,地域ごとではなく開国からの歴史でみるとどうなるか?
小菅桂子「近代日本食文化年表」(雄山閣,1997年)というのがある.
続編がでていないから,年表は「1988年」でおわっている.「昭和」でいえば63年まで.つまり,事実上「平成」はない.
その「平成」もおわりがきまった.続編があったらなんと書くのか?
ヒントは,あとがきの「愚痴」にある.
この三十年,あたらしい食文化を形成したのか?といえば,「厳しい」時代だった.
あえていえば,化学調味料と添加物という化学物質による「インスタント」が完成した時代なのかもしれない.
それを,「食文化」といえなくはないだろう.
しかし,ファストフードは当然として,コンビニやスーパー,それに持ち帰り弁当チェーン,スナック菓子,清涼飲料すべてに添加物はあたりまえにはいっているのを,どこまで誇れるものか.
日本料理が世界遺産になったのを自慢するひともいるが,洋食もふくめた関係者の顔は暗い.
幼少時から添加物という刺激物になれてしまった舌は,化学物質による味覚破壊によって,「本物」の「うまみ」を感じなくなる.つまり,鈍感になった子どもがおとなになれば,本物を「本物」だと知識でわかっていても,味覚を感じないのだから美味くない.それで,ほんとうに「遺産」になってしまうのではないか,とおそれている.
もっといえば,「お袋の味」が添加物の味になるということだ.典型はみそ汁である.
すでに,かつおだし風化学調味料が家庭にはいって50年になるし,ダシ入り味噌すら30年の歴史がある.
さいきんは,これらの製品のCMで,「おかあさんの味がする」というブラックジョークまである.
じっさいに,本物の一番ダシとかつおだし風化学調味料を目隠しして味見すればわかる.
わたしをふくめ,おおくのひとが,化学調味料のほうを「本物」と評価してしまうのだ.
これは,和食だけのことではない.
洋食の世界でも,とっくに大手ハンバーガーチェーンのハンバーガーが美味しい,という子どもは30年前からいた.かれらはすでに中年で,中堅以上の幹部になっているだろう.
ファストフード店でみかけるが,年金で孫にやさしい振りをしているのも,いかがなものか?
将来,国が国民の健康問題に介入してくるようになると,ファストフード店にたいして現在の風俗店のように,成長期の子どもや青年だけの入店を禁止するようになるかもしれない.そうなると,おとなが同伴しても,入店させたおとなの知性がうたがわれるようになるだろう.
また,子ども手当の変形で,「食育」をうたって,「本物の店」がつかえるクーポンが配付されるようになるかもしれない.
これはこれで,星新一の「ボッコちゃん」のような世界である.
人間は食べなければ生きていけないが,何を食べてきたか?という問いは,「人生」をも意味する.
ケミカルな食品だからよろこんで食べる,というのは,ありがたい未来とはおもえない.