世界を見る目を養う条件は、「情報」を「分析」できることだといえるけど、それは一般に「報道」を購入して得るものだった。
「情報収集」のなかで特殊なルートのものは、国家がもつさまざまな機関(ふつうは、軍や専門の情報機関、あるいは在外公館など)で、企業では自社の駐在員からの報告があった。
もちろん、世界をまたにかける報道機関としては、「通信社」という存在が、あらゆる分野の情報を配信して、これを販売していた。
買うのは、新聞社やテレビ局だったから、「どこそこ発ロイター」とか、「ロイターの伝えるところによりますと」と、発信元の通信社の社名を挙げたものだった。
最終的に買っているのは、末端の購読者本人だけど、購読者は通信社から自分が買った覚えがないので、そんなものか、とおもうのがせいぜいだ。
これぞ、「B To B」のビジネスだ。
わが国が元気いっぱいだった、70年代から90年代までは、七つの海を支配したかつての大英帝国を基盤とした、ロイター通信よりも、わが国の「商社」がえる情報が、最も速く最も正確と評価されていた。
ちなみに、このころまでは、「テレックス」が主流だった。
それに、世界は米ソ冷戦時代だったので、まともな国家が力をいれた情報収集とは、この二大国家にまつわる「政治・軍事情報が最優先」されていた。
そんなわけで、敗戦後、政治・軍事ともに「二流以下」であるように戦勝国(国際連合)から要求され、この要求以上に「四流以下」になろうとした、涙ぐましい「努力」をすることになったのがわが国である。
このとき、涙を呑んだのは、「第一次大戦の戦前」をしっていたひとたちだ。つまり、「戦勝国」になる意味をしっていたのだ。
「大戦」は、1914年から始まるので、1890年(明治23年)ぐらいの生まれのひとたちだろう。
すると、1945年(昭和20年)では、およそ55歳になっている。
当時の寿命としては、とっくにご隠居様なのだ。
現役ではないのだから余計に、どんなに嘆いたかは想像に難くない。
さらに、このひとたちの上の世代もふくめて、『黄禍論』の恐ろしさをしっている。
アジア人に対する白人の根本的な「恐怖」が、現在ではかんがえられない「人種差別」をうんだ。
いま、全米で荒れ狂う「BLM(ブラック・ライヴズ・マター)」のいう、「正論」だけを切り取れば、当時の大日本帝国が、「人種差別撤廃条約」を世界に提案した趣旨と通じるものがあるはずである。
そして、欧米列強諸国は、黄禍論にかこつけて、これを葬ることが高じて、日本たたきの戦争を画策したのである。
当時、アメリカの黒人協会が日本政府に信頼をおいていたのは当然で、白人社会は黒人との結託にさらに怖れをなして、日本人移民を収容所送りにしたのである。
だから、わが国側の当時の「現役世代」(終戦時の隠居世代をふくむ)は、この衝突に戦争遂行目的を明確に意識していたのである。
よって、嫌がる軍をたきつけたのは、さかんに開戦を支持するデモ行進の「輿論」であった。
戦後、「軍部の暴走」という幻想を信じたのは、敗戦のあまりの悲惨に耐えかねた人びとへの「贖罪意識への癒やし効果」と、彼ら世代の下の若い世代の「被害意識」が合成されたベクトルになったからである。
これを政治的に仕組んだのは、アメリカ社会学の「勝利」であった。
しかし、以上はわが国「本国」でのできごとであって、遠く、広く占領した「戦地」における日本人将兵の全員を「改心」させることには及ばなかった。
当然ながら、現地では「慣性の法則」がはたらいた。
その一つが、「ビルマ独立軍」における、日本人部隊の存在だ。
むしろ、イギリスを追い払った日本軍将兵からすれば、ビルマ独立の確定は戦争目的そのものだから、イギリス軍の再配置に関して闘いを挑む行為は、彼らの存在意義にも合致した。
それで、日本軍本隊から分離した部隊が「ビルマ独立軍」となったのだ。
その意味で、ビルマ独立軍の本質は日本軍であって、ビルマ軍ではなかった。
敗戦色が強まって、ビルマ軍の指導者とされたアウンサン将軍は、日本と日本軍に見切りをつけてイギリス軍と通じたかにみえたけど、その複雑性は一般論になって理解されていない。
あえていえば、ビルマの混乱はここからはじまる。
そして、この国の複雑さは、多民族国家という厄介もくわわって織りなすから、外部にはみえにくのだ。
さてそれで、国軍によるクーデターとその後の国民民衆への攻撃が国際的非難の的になっている。
しかしながら、実態がぜんぜんみえてこない。
なにがどうなっているのか?まるで、かつての中東戦争とアラブ・ゲリラによる局地的戦闘の実態がわからなかったように。
けれども、どちらもイギリスがからんで複雑化したのである。
こないだの局地戦では、国軍が民衆側の攻撃で全滅してしまった。
なにがおきて、どうやって正規軍を全滅させたのか?
マスコミ報道が役に立たないし、もはや信用できないのである。
よって、いまのミャンマー情勢は、わたしには「わからない」のである。