アフガニスタンは何処へ行く?

アフガニスタンからの米軍撤退は、トランプ政権が決定したことだった。
あたかも、この政策を現政権が「踏襲」しているように見えるけど、「質」がぜんぜんちがう。
それで、トランプ氏は緊急声明で、「バイデン辞めろ」と言ったのだ。

では、その「質」とはなにか?
中東という場所柄、キーとなるのは「石油」にちがいない。
「トランプ時代」にアメリカは、石油「純」輸出国になったのである。
これを、「シェール革命」といった。

しかし、バイデン政権が発足すると、就任初日の大統領令で、「シェール革命」が終了した。
掘削の中止命令を発動させたからである。
これが原因で、わずか半年でアメリカのガソリン価格は倍になった。

もちろん、「余波」はわが国にもやってきて、ガソリン価格の上昇が止まらない。
110円台から150円台(約40%の上昇)になってしまった。
アメリカが、石油輸入国になったからである。

つまり、中東の石油に依存しないアメリカ、という前提からの「米軍撤退」であった。
しかし、バイデン政権は、中東の石油に依存する前提に意図的に戻して、ただ「米軍撤退」をやったのである。

このことは、トランプ政権による「画期的な中東和平」の実現に、完全に水をさす政策であって、「きな臭い中東」に戻すという意味がある。
さすが、軍産複合体からの利益を得ることを生業とする、アメリカ民主党政権なのである。

その言い訳に、たまたま「タリバン」がいたのだった。

しかも、タリバンはいま、中国からの支援を隠すところなく受けている。
戦闘組織なのだから、支援とは、軍事物資のことをいう。
つまり、武器弾薬だ。
しかしながら、米軍が「政府軍」への置き土産にした「兆円規模」の軍事物資が、横流しされてもいる。

実態としては、横流しの方がはるかに質・量ともに多いのではないか?
かつての、南ベトナムがそうであったから、このことも「古い」事例の再現になっている。
支援先の「当該政府」が、少なからず「腐敗」しているいつものパターンなのだ。

ソ連が介入して失敗し、アメリカが介入して失敗した、アフガニスタンとはどんな「国」なのか?
一口にいえば、「近代文明圏ではない」のである。
おとぎ話に出てくる、「中世」のまま生きのこっている化石のような「地域」だ。

多民族国家なのは、「部族社会」だからである。

それは、ジョージア(旧「グルジア」)でロケが行われた、イラン人監督による名作『独裁者と小さな孫』(ジョージア、イギリス、フランス、ドイツ)が表現する「架空世界」のようなものだ。
なお、作品の言語も「グルジア語」である。

監督が、アフガニスタン首都カーブルの「ダルラマン宮殿の廃墟」を訪れた際に、この映画の構想が練られたというから、「本物」なのである。

この映画に登場する人物たちの持つ、「理不尽さ」とは、中世の常識であって、近代とは異質のものだ。
しかし、こうした「異質」すら、「育ち」によることを示すのは、「孫」の存在なのである。

すなわち、生を受けた環境が、現代なら現代人に、中世なら中世人に現代でもなる、ということを表している。
「知の巨人」、梅棹忠夫が西洋と東洋の中間だから「中洋」と呼んだ、「文明の空白地帯」のことでもある。

この地域を我が物とするべく動く三番目の大国は、中国であるから、これを黙って見つめているバイデン政権の本性がしれる。
それで、トランプ氏が怒りを発したのは理解できるところではある。
言われたバイデン氏は、夏休みの引きこもりから一切出てこないけど。

ところで、その中国にして「喉元の棘」になっているのは、新疆ウイグル自治区(=占領地)における「人権侵害」である。
これがどうしてアフガニスタンと結ばれるかといえば、タリバンが抱える連携地に、「東トルキスタン」があるからだ。

あたかも、「新疆ウイグル自治区(占領地)」と「東トルキスタン」とは、別の地域のように見えるけど、じつは「同じ」なのである。
元々、ウイグル人とはトルコ族のことで、今のトルコにしたら、「民族発祥の地」でもある。

それに、東ヨーロッパまで征服した、「大モンゴル帝国」が必ず絡むから、東アジアに暮らす日本人にとっては、ローマ帝国の歴史よりもよほど重要事なのであるけど、これを教えないという方針が貫かれている。
だから、司馬遼太郎のような妄想作家がもてはやされるのだ。彼は、蒙古語学科の出なので、一般人より知的有利なのであった。

そんなわけで、タリバンは中国というスポンサーから大枚を巻き上げる方法を考案して、東トルキスタンを翻弄するが、決して中国が望むようにはしない。
「問題解決」は、資金の出所を止めてしまうからである。

中世の発想同士の「仁義なき戦い」となる。
これを高みから見物して、武器を売ろうというのが、ロシアと民主党のアメリカだ。
部族の長老たちの決定に従わざるをえない、アフガニスタンのひとたちの悲劇は続く。

げに恐ろしきは、人間がつくる「社会」なのである。
日本人は、これを他山の石として、民主主義があるうちに活用しないと、いつか「中世社会」に逆戻りするかもしれないと学ぶべきである。

科学的には無意味どころか有害な、マスク着用の社会が、「ワクチン」という得体の知れぬ薬品の強要になってきて、はやくも逆戻りを告げている。

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