ガソリン値上げが続いている。
「15週連続値上げ」がニュースになった。
カレンダーで数えれば、昨年の12月はじめから、ということである。
その辺りでなにかなかったか?
11月30日にOPECは定時総会を開催していて、翌年(つまり今年)の「協調減産」をテーマにしている。
これまでの減産幅を「縮小(つまり増産)」する案が、通りそうもない、という報道をみつけることができる。
それで、従来レベルの減産を2月から3月まで続ける、ということなので、結局、「これ」が主たる要因である。
しかも、アメリカの政権交代した日(1月20日)に、新大統領は、早速に「反・シェール革命」を実行した。
これで、アメリカが「産油国・純石油輸出国」から、「輸入国」へと転じてしまった。
より中東原油の「需要が高まった」のである。
もちろん、アメリカ国内のガソリン価格も急騰している。
だから、「自然」の成り行きによる、価格上昇ではなく、すべて、「人為」である。
石油価格があがれば、ほぼすべての商品・サービス価格も上昇する。
輸送コストが上昇するし、発電コストも上昇するからである。
従来からの、「デフレ脱却政策」における、インフレ目標は、石油価格上昇によって達成できそうなところにあった。
しかし、これは、「悪いインフレ」である。
経済の活況による「よいインフレ」ではないからだ。
しかも、政府は一丸となって、経済を悪化させる政策を好んで採用してきた。
もちろん、「コロナ対策」という欺瞞政策のことである。
なので、石油価格の上昇は、今後の日本経済どころか、世界経済に悪影響をあたえることは確実だ。
すると、日米の政府共通になった、経済政策課題である、国民の「貧困化」が達成できるかもしれない。
世界のGDP第1位と3位の貧困化こそ、地球規模での「社会主義革命」達成のための条件なのだ。
そんなわけで、姑息な日本政府は、「レジ袋」でうま味を得たのをいいことに、こんどは「プラスチック製のスプーンやフォーク」を有料化するとぶち上げた。
法改正を「しない」で、レジ袋の有料化に成功したのだから、あとはなんでもできる、とした予測が的中することになった。
まさに「蟻の一穴」的な、「突破」だったのである。
このようにして、政府によって国民の「自由が奪われる」という、物語が現実となっている。
これは、国民政府の崩壊であって、国民と政府の「分離」という現象を観察している、ということだ。
民主主義の終わり、なのである。
ちなみに、レジ袋とスプーンは材質がちがう。
レジ袋は、原料自体が「ゴミ」だった。
石油精製から生まれる「最終廃棄物の再利用」という「エコな発明品」を、なぜか目の敵にしたのである。
これも、国民貧困化のための「人為」なのだ。
すると、緊急事態宣言を延長したことを「詫びた」、首相の意図も理解できる。
ほんとうは、緊急事態宣言もなにもぜんぜん必要性なんかない。
でも、せっかく国民も思い込んだ「コロナパンデミック」が起きているから、これを国民を支配するための政府としては、利用しないでおけない、ということだ。
だから、「ごめんね、ごめんね」。
一国の総理として、本気で国民に「詫びる」なら、また責任ある立場であると自認すればするほど、「総辞職」がふさわしい。
なにしろ、「総理大臣」なのだ。
しかも、戦前の総理大臣とは次元がぜんぜんちがうほど、独裁的で「えらい」のが、日本国憲法下の総理大臣だ。
でも、総辞職なんかできないし、ましてや解散をや。
とはいえ、年内に衆議院総選挙はやらねばならぬ。
にもかかわらず、国民の意識は高まらない。
せいぜい都知事をいじめて、あわよくば失脚させるぐらいだ。
でも、神奈川県知事も、埼玉県知事も千葉県知事も、みんな「テキトー」に、政府に要請したことがばれたし、神奈川県知事にいたっては、それをばらしたことの自分の責任もわからない御仁である。
1989年、在任69日だった宇野宗佑首相のあとを継いだ、海部俊樹に、「シャッポは軽くてパーがいい」といったのは、小沢一郎幹事長。
30年経ったいまでも通じる「迷言」である。
黒岩氏は、このときすでに『FNNスーパータイム』でキャスターをしていたし、90年には「救急医療にメス」という報道キャンペーンで、第16回放送文化基金賞と日本民間放送連盟賞をダブル受賞している。
賞を贈った「放送業界」のレベルもしれるところだけれど、本人はなにを「取材」していたのか?
優秀な後輩の仕事を、横取りしたのか?と疑ってしまうほどの無能ぶりが、現在の体たらくなのである。
さてそれで、「悪いインフレ」がやってくる。
これを、「日銀のインフレ目標達成」と報道するのだろうと予想するのである。
このとき、首相は、「経済政策の成果だ」と胸をはるにちがいない。
ありもしないこと、をあることにする「成果」なのである。