『祇園囃子』の役人接待

わが国独立の翌年、1953年(昭和28年)大映製作の映画である。

川口松太郎の小説を、名匠、溝口健二監督が映画にした。
主演は、木暮実千代。
デビュー2年目の、若尾文子が眩しい。

また、この作品は、ブルーリボン賞で、助演賞を男女それぞれダブルで受賞している。
進藤英太郎と、浪花千栄子である。

いま話題の「役人接待」が、あまりにもちんけで小さいので、この映画にでてくる人間模様でも観て、すこしは頭を冷やしたがいい。

学歴エリートなのに、薄給の役人なんぞになってしまった。
ならば、権限を利用して、ちょいといい思いの少しぐらいしたってどうでもいいではないか。
もちろん、接待する側はむき出しの利益が欲しくてやっているのだ。
しかも、命をかけて接待している。

双方の下心がストレートすぎて、なんだか「すがすがしい」のである。

なぜか?
この接待を「きれい事」にする気が、毛頭ないのだ。
接待を受ける側も、差し出す側も、それぞれがそれぞれに欲がある。
またそれを、恥ずかしいともおもわない。

戦争と占領の相反する価値観が、一種のカタルシスとなって、「小事」と割切るこの感覚こそが、高度成長のエネルギーなのである。
むしろ、カネはもちろん食べものさえもろくにない敗戦国の「ないないづくし」が、役所とはいえ大規模予算を組めるはずもないから、所詮「そんなもん」であった。

こうした、「下心」は、年代がすこし進むと、『社長シリーズ』(1956年~70年)に変化して、こんどは「陽気」になるのである。
主演は、森繁久彌にいつものメンバーで、『駅前シリーズ』と並行制作された。

 

あらためて、役所の体制が、いまのように整備されていない、よき時代こそが、「高度成長期」なのである。
これは、明治の『坂の上の雲』の時代(国づくり)とおなじことを意味しているのである。

なんだかわからない、ちょっと秩序が甘い時代こそが、自由経済の「成長期」だと、歴史が証明している。
70年代、役所の体制が整うと、とたんに「中折れ」して、高度成長の季節もおわり、もう「二度とこなかった」のである。

何度も書くが、「月次統計」をみれば、オイルショックの「前」には、成長が急速に落ち込んでいた。
田中角栄内閣のラッキーは、「年度」で示して「オイルショック」が原因だと「言い張れた」ことにある。

それを、「経済の福田」が、「狂乱物価」といって煽ったのだ。
まことに、大蔵官僚の血は争えない。
戦後の大宰相は、まちがいなく池田勇人に相違ないけど、その「偉大さ」も、所得倍増「だけ」で誤魔化すのである。

一種の「歴史修正」がおこなわれている。
いわゆる、「歴史修正主義」を批判するけど、あんがい批判しているひとたちが、じつは「歴史」を修正どころか「捏造」するから注意がいる。

そんなわけで、『祇園囃子』である。
まじめに筋を通そうとするのが、浪花千栄子扮するお茶屋の女将である。
主人公からすれば理不尽この上ない態度だけれど、彼女の筋の通し方はちょっと、フローレンス・ナイチンゲールに似ている。

クリミア戦争(1853年~56年)での、「白衣の天使」は、権謀術数にすぐれた、わるくいえば手段を選ばない冷酷さがある。
ぴったり、『祇園囃子』の100年前のことである。
それに、彼女は統計学者だったから、いまようにいえば、データ・サイエンティストという側面もある。

つまり、データをあつかう彼女を味方につければ心強いが、いざ敵に回すと容赦ない報復を受けるのである。
現存している彼女の肖像写真に、笑顔がない(むしろ機嫌が悪い)理由。

それは、傷病兵のため、という一点を目的とした、徹底的な戦闘行動がつくった「顔」だった。
こうして、彼女は、母国イギリスの政界をも牛耳る、おそるべき「フィクサー」になるのである。

さて、花街(物語の設定は「上七軒」)のお茶屋の女将が守ろうとしたものは、ただ一点、「顧客からの信用」なのであった。
そのためなら、できることはなんでもやる。
他人から「狭量」といわれようがなんといわれようが、女将本人にとってはこれしかない、「業務範囲」に、まったく忠実一途な行動を「正義」としているのである。

この気概を失ったのが、現代の「甘え」の社会なのである。

接待をする側も、受ける側も、一途なる「矜持」がどこにもない。
非難されるべきは、これである。
「公務員倫理法」に抵触している、という「つまらない」話ではない。

しかし、なにが「独立直後」とちがうのか?
それこそが、戦争で失った役所の体制が、ほんらいの自由と責任を国民に意識させたのに対して、整備され巨大化ならぬ肥大化した役所が、余りある予算を好き勝手に差配して、従順なる国民を支配していることである。

接待される側も、この程度なら「法にふれまい」という判断があったはずだし、接待する側も、この程度ならの論理があったはずである。
だから、接待そのものが「ちんけ」になるし、だれもこれで影響力を行使してもらえるとかんがえなかったのではないか?

ならば、なんのための「接待」だったのか?

する側は、柔らかい雰囲気での「状況の説明」だったかもしれない。
される側は、「情報収集」だ。

なぜなら、「無謬の役人」が世間知らずだからである。

ではどうするのがよいのか?
過去二度の歴史を学べば、「役所の解体」がもっとも望ましい答えである。
優秀な役人を、ビジネスの世界に「解放する」ことでもあるから、日本経済、ひいては日本国民の幸福にひろく寄与すること、確実なのである。

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