なにも「ジオパーク」にかぎったことではないから,このテーマのおおきなタイトルは,「わが国観光地の貧困」でもいい.
しかし,「ジオパーク」にしたのは,より焦点がしぼられてわかりやすいとおもったからである.
それは,かねてからのわたしの主張である,観光業は「総合芸術的な産業」すなわち,「六次産業」である,という「定義」に遠いからである.
まずは「ジオパーク」の意味と意義.
意味は,日本ジオパークネットワークのHPによると,『「地球・大地(ジオ:Geo)」と「公園(パーク:Park)」とを組み合わせた言葉で、「大地の公園」を意味し、地球(ジオ)を学び、丸ごと楽しむことができる場所をいいます。』とある.
意義は,『地球科学的に価値のある地質や地形を保護・保全し活用していくプログラムの実施』だと,目代邦康・笹岡美穂「地層のきほん」誠文堂新光社,2018年,にある.
もとは,「世界遺産」をやっているユネスコがすすめているもので,国内には「ユネスコ世界ジオパーク」が9カ所,「日本版ジオパーク」が34カ所ある.これに,候補がまだあるから,将来的には増えるだろう.
世界の「世界ジオパーク」は,35カ国に127カ所というから,日本以外には118カ所あることになる.
いわれてみればもっともなのだが,ふだん意識しないで生活しているから,地震大国の日本に住んでいても,「地球の構造」についてはあんがい知識がないものだ.
海洋のプレートが大陸のプレートの下にもぐり込んで,その摩擦ではねかえりが起きると地震になる,とはよく聞く説明である.
山の岩石が崩落したり,雨で川に流れ,それがやがて海に行くことも,だれでもしっている.
ところが,海の下では,もぐり込んだプレートがまた地球の内部にもどって,溶けてマグマになるということをすっかりわすれている.
あらためて,ダイナミックな造山活動や火山活動で,また別の地表にでてくるから,すごく長いレンジで「岩石」も対流して循環しているということを聞くと,感心するのである.
世界ジオパークがある国の数でいえば,一国の比率は3%弱であるが,わが国の世界ジオパーク数の比率は7%になるから倍以上の重みがある.
これは,地球という星で,日本列島という場所がかなり複雑な構造になっているので,珍しい地層が随所にみられるからだという.
東西には「糸魚川静岡構造線」で分断され,ここから分岐した「中央構造線」が紀伊半島から四国,九州を南北に分断している.これに太平洋とフィリピン海プレートが押し寄せているのは,小松左京のSF傑作「日本沈没」でも紹介された.
さいきんでは,千葉県市原市養老川に地磁気逆転の地層発見で,これを国際的な年代呼称として「チバニアン」とするかが話題になっている.
当該地層の露出面は私有地だったが,市原市が買収して国の天然記念物にするという話題もくわわっている.
こうしてみると,「地球の歴史」を目の当たりにするというダイナミックな「観光地」たりえるのがわかる.
ところが,おおくが「看板程度」の「放置」で,なんだかわからない観光客が押し寄せるが,これを「産業化」するという試みがない.
ヨーロッパの事例をみると,彼我の差に驚くから各自検索さるとよい.
つまり,ジオパークの意味と意義を組み合わせれば,「地球科学的に価値のある地質や地形を保護・保全し,地球(ジオ)を学び、丸ごと楽しむことができるように活用していくプログラムが実施される場所」と「目的を定義」すると,これを忠実に実行している国と,そうでない国とに分類できそうだ.
決め手は「プログラム」の有無である.
わが国では,「登録」には熱心なのだが,「その後」がない.
「世界認定」なのに,ほぼ日本語だけの説明看板をたてて,周囲に駐車場と休憩所を整備する.よくできて「博物館」を建設するが,展示の工夫があまい.これに,入札かなにかで売店営業がゆるされるが,とくにこれといったものがない.
簡単にいえば,わくわく感がないのである.
たとえば,世界遺産になっているポーランドのヴィエリチカ岩塩坑は,13世紀から現代も採掘がつづく,坑道総延長300kmの世界最大規模をほこる場所だ.
必須の各国語ガイドによる観光は,最低2時間.博物館を含めれば3時間以上を要する.
チケットはネットでも予約販売(大人2600円ほど)しており,現地での直接購入もできる.
直近の古都クラクフからのバスツアーなら,半日がかりになる.
なんと,坑内には子どもが合宿できる施設もあって,もちろん教室もある.
ここで,ちゃんとした体験と歴史や岩塩ができたしくみなどをしっかり学べるようになっていた.
そして,売店では塩グッズと石鹸ばかりがあるが,どれも「オリジナル」であるから触手が動く.
お支払いはキャッシュレスだ.
周辺の地上にも宿泊施設があるのは,より深い体験のためという.
これが「プログラム」である.
世界でも有数な「ジオパーク資源」があるのに,こういった「プログラム」をふつうに提供する場所が皆無なのが日本である.
明治政府がやったように,「お雇い外国人」に,観光地の開発企画を依頼したほうがいいのではないか?
「退屈な日本」とは,観光庁の外国人観光客アンケートの衝撃的な結果であった.
ならば,観光庁長官から手始めにお雇い外国人にすべきだろう.
これもできないのは,「目的の定義=理念」があいまいだからである.
だれのための「観光」なのか?
自社のありようとしての経営理念をわすれると,とんでもないことになる証左でもある.