メディアと呼ばれているものの特徴に,「枠」がある.
放送時間「枠」に記事の「枠」.
テレビであろうがラジオであろうが,新聞であろうが,かならず「枠」がある.
それで,この「枠」をどう埋めて売るのか?が,各社の競争になる.
ニュースらしいニュースがあれば,しかもたくさんあれば,「選択」が重要になって,なにを報じてなにを削るかが「判断」のしどころである.
ところが,億人単位のひとが暮らしていても,たまには平穏な日もある.
すると,たちどころにニュースがない,という事態になる.
そこで登場するのが,溜めてあった記事である.
「今日はロクなニュースがないな」
という日は,このような記事のことを「ロク」という.
じつは,「ロク」には本格的という意味がある.つまり,受け手の期待値がこれでわかるというものだ.
ついつい大きなニュース,つまりは自分が関わらない「大事件」を読者は要求している.
それで,「事件記者」は飛び回って取材する.
一般に,これらのことを「フロー」という.
浮き沈みのあるものだからだ.
たとえ連日連夜でも,フローな記事ばかりを読んだり聴かされたりしていると,「だからなんだったのか?」と,ふとわからなくなることがある.
これを,「本質を見失う」という.
「表層の事象」が「フロー」でもあるから,そればかりの報道だけに接していると,わからなくなるのは当然である.
「売上」も「利益」も「フロー」である.
一般に,「売上」-「経費」=「利益」だから,「売上」と「利益」が「フロー」なら,「経費」はなんだっけ?とかんがえると,「フロー」でも「フローでなくても」,こたえの「利益」は「フロー」になる.
実務では,ほとんど役に立たない「損益分岐点」を算出するには,「経費」=「費用」を,売上に連動する「変動費」と,売上とは連動しない「固定費」に分解すること,と教科書にはかいてある.
つまり,「変動費」が「フロー」で,「固定費」は「フローではない」.
このかんがえ方が,ナンセンスなのは,「材料費」を「フロー」だといっていることにある.
ある商品がどのくらい売れるか?がわからないから「売上」は「フロー」なのだ.
それで,その商品をつくるときに必要な「材料費」は,売上に連動するから「フロー」の「変動費」であるという.
ところが,商品ぜんぶを予約注文で販売していて,注文が入ってから材料を発注してつくるならいいが,さいしょに商品を製造してから店頭で展示して売るならどうか?
そもそも,その商品が今日,何個売れるかわからないのである.
だから,一見もっともらしいが,後出しじゃんけんでしかない.
ニュースとおなじように,「フロー」ばかりを観ていると,本質がわからなくなるということになっている.
もうお気づきだろう.
重要なのは,溜めこんだ「ストック」のほうである.
企業の「決算書」のさいしょに「貸借対照表」がある理由である.
しかし,ほんとうに必要な情報は,ここにもない.
あるのは,従業員の頭と体のなかである.
それをどうやって「見える化」するのか?
これが,経営である.
鎌倉時代の暇人,兼好法師が書いた「徒然草」には,ニュースなんてものはないということがある.
人間がやってきたことは,いつでも似たようなもので,大事件にみえるようなことでも,たいがい過去にしでかしている.
だから,ニュースなんてない,という.
なるほど,ニュースを1,000年分ほどストックすると,おおかたの事件も初めてではないだろう.
ニュースがない日のニュースほど,新聞社のふだんのストックがわかるというものだが,「ロクなニュース」がない,のが現状だ.
すると,1,000年分ほどのニュースを電子ストックして,AIが適確な解説を今日のニュースに与えてくれるかもしれない.