昨1日、年々拡大してきた、年に一度のAmazonブラックフライデー・セール(大売り出し)が、終了した。
これで、今度は、年に一度のクリスマス・セール(大売り出し」がはじまる。
あたかも、ブラックフライデーで買い逃したひとへの「救済措置」になるので、クリスマスはありがたい。
それから、年が明ければ、年に一度のお正月セール(大売り出し)だ。
だから、なんだかんだと、いつでも大売り出しをやっているから、むかしの商店街を思い出す。
赤いおおきなのぼり旗に、大書して、あちらこちらに掲げて、街中で雰囲気を演出していたものだった。
その商店街が、みごとに衰退して、シャッター街になって久しい。
東京ならばそんなことはないだろう、という地方のひとたちは、おそらくテレビ脳に冒されている。
「むかしながら商店街」として、テレビで紹介されるのは、特定の商店街ばかりなのである。
つまり、テレビで紹介さない商店街に注目しないといけない。
たとえば、秋葉原から御徒町にかけてとおなじ距離を「並行」している、「佐竹商店街」は、その由緒正しきネーミングとは裏腹に、なんともいえない気分を味わえるものだ。
東京のど真ん中にして、これだ、と。
南北の佐竹商店街から、東西の東に折れて鳥越神社にむかう道すがらは、「おかず横丁」という食欲をそそる商店街があるけれど、かつての惣菜屋さんの面影がみつかればありがたい道になっている。
商店街活性化の成功例が皆無という事実に目を向ければ、かならず地元行政のアドバイザーになる「専門家の無能」が光るだけなのである。
しかし、行政の側は、どんなに空しい努力でも、専門家のアドバイスに依っている、という理由があるから責任は回避できる。
この、「やっている感」だけの無責任で、税金が無駄遣いされていても、税金を負担する国民や企業が、無関心、あるいは、かかわりたくない、という態度を「よし」とするので、いつまでもどこまでも「商店街活性化」がきれいごとでいられるのである。
ただし、すでに現代のわが国は「五公五民」の状態になっていて、このところの水道光熱費の高騰で、「六公四民」にむかって爆走している感がある。
もちろん、この期に及んで「増税」を目論む政権与党は、内閣を何個か犠牲にしてでも実現させたいという、政治目標を崩さない。
この意味で、岸田内閣を批判しても、ぜんぜん関係ないのだ。
江戸時代、「五公五民」は、一揆発生のボーダーラインで、うまいこと「お目こぼし」をしなかったら、たちまち一揆が勃発した。
現代人が、「五公五民」で我慢できているのは、どんな理由からか?は、将来の歴史家がかならず研究するテーマになるだろうけど、一応、いま書いておけば、「学校教育の成果」といえるはずだ。
すなわち、従順な奴隷化、が成功している。
この点で、なぜに徳川幕府は、「教育奉行」を置かなかったのか?が気になる。
「大学頭」は、教育行政を担当したのではなくて、将軍家への教育と「学説を公認する」担当にすぎなかった。
そんなわけで、商店街からシフトして、ネットでポチると商品が自宅に届く、あたかも運送業が巨大化する仕組みになったのである。
なので、中間に位置する、デパートも衰退したし、おそらくこれから、巨大ショッピングセンターも衰退するのだろう。
ここに注目すると、赤字で話題になっている「楽天市場の画期」とは、個人商店のサイバー化による、バーチャル商店街の構築であった。
中央集権のアマゾンとの、ビジネス・モデルの決定的ちがいがここにある。
実父が創業して事業拡大した、「大塚家具」を、実の娘が強引に経営権を奪って、とうとう実質「消滅」させたのは、経営戦略の立て直しに、完全失敗したことが原因だという「教科書」になった。
この点で、別角度からガーシーの標的にされた三木谷氏は、なにかを間違えたのである。
一方で、一時一世を風靡した「mixi:ミクシー」の衰退は、なんだったのか?
アメリカの「Facebook」や「Twitter」に席巻されたばかりか、情報漏洩の懸念がぜんぜん払拭されないままにもかかわらず韓国の「LINE」にも完敗した。
わたしには、「こっくりさん」のようにみえるのである。
さてそれで、どれほどの「散財」をしたのかは、個人それぞれのことに戻る。
その個人のはなしをすれば、学生時代から購読契約をしていた、経済新聞を解約した。
ついでに、電子版も解約した。
来年の元旦から、新聞がこない、あたらしい生活がはじまる。
なんだか、うれしい、のは、ゴミを排除したようで、ちょっと早い「大掃除」の達成感にちかい。
これで、年間6万円の節約になるけれど、金額の問題ではない。
ほとんど読んでいないものだから、被害はないし、読むことの被害の方がおおきいだろう。
だからといって、アマゾンでの買い物予算が増えたわけでもない。
つぎのテーマは、Amazonからの脱却、になるからだ。