こっくりさん

学校で「禁止」を命じられた遊びに「こっくりさん」があった.
必須の鳥居に,数字やひらがなの五十音表などを書いた紙の上に10円玉をおいて,三人以上の指を10円玉に置くと,勝手に10円玉がうごいて,さまざまな質問に回答するというものだ.
あんまり流行ったものだから,「経験者」はおおいだろう.

お狐様の「こっくりさん」が降霊するという触れこみだが,科学的に何故かというとさまざまな説があって,なかでも「潜在意識説」が有力なようである.
要は,参加者の「潜在意識」が,指に力を与えて10円玉を動かす,というものだが,本人たちは,力を入れるどころか,勝手に10円玉が動く,という感覚のほうが強いから,大流行した.

ふだん,力を入れるという感覚を意識しているとおもっているから,力を入れていないのにものが動く,ということにものすごく違和感がある.
しかし,逆に,力を入れようとしているのに,体がおもうように動かない,ということもある.
つまり,無意識のなかと意識のなかとでそれぞれに「動く・動かない」があって,ひとは自分の体をあんがいコントロールできないものだ.

お稽古事も,スポーツも,そのために練習・訓練するとかんがえれば,納得がいくものだ.
達人がさりげなくおこなう所作も,素人にはとてもではないが簡単にはできない.
狂言の「釣狐」は,その典型である.

さて,個人の世界から社会集団に転じると,社会にも「潜在意識」がある.
だから,個人と社会の中間にある,企業という集団にも潜在意識がある.
その潜在意識が,ある一点にあつまると,「こっくりさん」のように,勝手に動いてだれにもどうすることもできなくなることがあるし,ふだんではかんがえられない集中力を発揮することもある.

だから,有能な経営者は,従業員の潜在意識に対するすり込みを重視する.
それは,よいことをしている,社会に役立っている,ということだと,もっとも強いすり込みになる.
ここには,「金銭」である「損得」が入り込まない,という特徴がある.

日本人は,かつての「武士」の価値観が一般にまでひろがったため,むき出しの「金儲け」を嫌うどころか嫌悪する習性がある.
その最たるものが「役所」で,役所が有料でするサービスでは,「儲け」をいかに出さないか?に気をつかう.それで,赤字分は当然に税金で補填するから,結局は住人が負担している.このとき,そのサービスを享受しないひとも負担させられるから,「平等」とは難しいものだ.

ヤマト運輸をいまのヤマト運輸にした,故小倉昌男氏の「経営学」には,上述したすり込みの極意が記述されている.
「サービスが先,利益は後」というかんがえ方は,みごとに日本人の琴線に触れる.
これは,たいへん重要なことだ.

アフリカ諸国や,ラテン・アメリカ諸国では,なにを言っているのか理解されないかもしれない.
いわゆる「ぼったくり」というのは,その時々の価格交渉の結果,という理屈にたつと,あとで気づいた購入者がマヌケだったということになる.

なにかのTV番組で,わらしべ長者のごとく物々交換しながら旅をする,という企画ものがあった.
そこで,アフリカのとある国で,欧州で交換した高価な物品が,交渉の挙げ句,残念なものと交換した.それで,返してくれと再交渉したものの,応じてもらえないという場面があった.

あたかも,この強欲なアフリカ人が悪い,と感嘆役のタレントが言っていたが,そうではない.
世界はそんなものだし,いったん合意して契約したら,その取引は成立する.
だから,相手のアフリカ人からしたら,マヌケな日本人,という印象が深まるばかりだろう.
これを,日本人視聴者の潜在意識に訴求したから,いっきに下劣な企画に成り下がった.

「サービスが先,利益は後」の前に,だれもが納得する「適正価格で」をいえば,世界で通じる普遍的な価値観になるだろう.

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