大不評の「レジ袋有料化」は、国民に負担を「強いる」ものなのに、「法律」がないままで行なわれていた。
役人が勝手に決める、「省令」を変える「だけ」で実施されたのだ。
もちろん、「省」のトップは「大臣」で、その下には「副大臣」とか、「政務官」とかいう「国会議員」がいるけれど、首相の意向で大臣を民間から呼ぶこともある。
ましてや、「国会議員」が就く役職だからといって、それ「だけ」で、国会の承認を得る、ということにはならない。
つまるところ、「省令」でレジ袋有料化ができるのは、「国会」が機能していない証拠なのである。
国会が決めるべき事を、役人に強奪された、と考えるのが民主主義のルールとして「ふつう」だからだ。
そんなわけで、昨年6月4日に、「プラスチック資源循環促進法」が成立した。
一種の「追認法」であるから、「追認」と後ろ指をさされることがないように、「屋上屋を架す」がごとく、「対象範囲を拡大」した。
そもそもが、2020年(延期になった21年ではない)の「東京オリンピック」に、外国人が「大挙して」やってくると勝手に考えたことでの先進国としての「見栄」が、レジ袋有料化の話の発端だった。
発想が「韓国風」な貧弱があるのは、こうした発想を、ほんとうは日本が大好きな韓国が真似るからである。
嫌い嫌いも好きのうち。
それにこの考えが、最初からヘンなのは、コロナでなくとも、外国人観戦者が大挙してやってくる訳がない、ということだ。
オリンピック「観戦チケット」の外国人販売「枠」が、そんなにあるはずがないからである。
もちろん、「地球環境のため」とかという世迷い言に欺されてはいけないのだけれども、知能が低い「保守派」は、あんがいとコロッと欺される。
要は、「お人好し」ということなのだ。
このことを、「利用されている」ことにも気づかない。
地球環境が人間によって破壊されている、と言っている人間がいる。
このひとたちの、人間性を疑うのは、「正義を押しつけるのに容赦がない」ことだ。
これは、「フランス革命」時の、一般人をギロチン台へ送り込んだ論理とおなじことに気づかないといけない。
そしてそれが、「恐怖」を生んで、社会全体を支配することを目論む独裁者に利用された。
ヒトラーしかり、スターリンしかり、毛沢東しかりで、カンボジアの「クメールルージュ(ポルポト派)」になったのである。
「プラスチック」のことを、日本語で「樹脂」というのは、石油から作られるからである。資源としての石油の重要性は、「原材料」になることで、ただの「燃料エネルギー」ではないことにある。
石油や石炭などの天然エネルギー資源は、太古のむかしの「植物」だったから、その「樹」の「脂」ということだ。
最近になって、エネルギー危機が逼迫したという「苦し紛れ」で、ヨーロッパは「原子力」も再生可能エネルギーに「加え」て、これも「SDGs」だと真顔で定義して決めた。
要は、どうでもいい、のである。
それで当然ながら、放射性物質の危険(ウラン濃縮、発電中、廃棄物処理とえらく長い期間:10万年を要する保管)という方向からの「環境問題」をいうひとたちが「納得しない」ということになって、「分断」を深めている。
「天然ウラン」も、そのままでは「燃料」にならないので「濃縮」するし、発電中の危険はフクシマで明らかになった。
廃棄物については、これから10万年もして人類が科学技術を「進歩」させたら、「うまい方法」をみつけるだろうという可能性に依存している。
なんでそんなに時間がかかるのか?といえば、放射能の半減期間を「人為」で速めるなり、放射線を無害化する「原理」が、当分の間(おそらく向こう10万年ぐらい)みつからないだろう、という「予測」があるからだ。
『宇宙戦艦ヤマト』の、イスカンダルなる惑星に、「ワープ航法」を繰り返しながら、放射能除去装置を受け取りに行くことの方が「現実的」かもしれない、という程の、「厄介」なのである。
はたして「それに比べたら」、プラスチック問題とは、ちゃんと「ゴミ箱に捨てる」ということと、しっかり「燃やす」ことで解決する。
「無害」が証明された、ダイオキシンを気にするのは、マスコミ「洗脳」されている証拠なので気をつけたい。
横浜市資源循環局(むかしは「清掃局」といった)は、「燃やすゴミ」と「プラごみ」を、市民にしっかり分けさせていて、燃やすゴミの主たる「生ゴミ」を燃やすために、A重油や都市ガスなどの「資源」を使って燃やしていて、決して「プラごみ」を一緒にして燃やさないことを「自慢」するから、工場見学の小学生が「?」になって、おとなを信じるとロクなことにならないという教育効果をあげる、「世代間分断」の促進に貢献している。
「ダイオキシン問題」がかまびすしいときに、市内のゴミ焼却炉を億円単位で改修して、プラスチックからの有害ガスを発生させない高温燃焼に対応したという説明もしている、のに、であるから、ちゃんと係の話を聞いている小学生ほど、「?」になるのである。
しかしながら、そうはいっても、「法律」ができて、14日、岸田内閣は対象品目などを閣議決定した。
まさに、国民生活を痛めつける、国会と内閣の共同作業が4月1日からはじまる。
レジ袋の関連からか、「コンビニ」のストローやスプーン・フォークの話が多いけど、ホテルの「アメニティ」や、クリーニング店のハンガーとか、引き渡し時のビニールカバーといった、生活密着への「嫌がらせ」がスタートする。
ホテルなどの「アメニティ」に注目すると、「世界標準」は、せいぜい「シャンプー」と「リンス」ぐらいしか部屋にない。
これは、「エイズ」が流行したことでできた「業界標準」だ。
歯ブラシやカミソリは、「自分のもの」を持ち歩く、というのが「世界標準」の旅行者の常識になったことを「受けて」のことだ。
この常識が「ない」のが、わが国の「業界」である。
それは、日本人「客」にエイズ対策の常識がない、という「幸せな」意味であった。
だが、歯ぐきから出血する歯ブラシや肌が切れるカミソリであっても、「無料」を魅力として、それが競争力に変化する、「貧困な思想」がこれを支えていることが「なくならない」ことが大きな理由だ。
提供側は、とにかくコストを削減したいから、どんどんシャビーになるのだけれど、「手ぶら」同様で旅行ができることに「便利さ」を感じるひともいる。
そんなわけで、日本の宿泊施設からアメニティが消える、という世界標準は、30年遅れの「別次元」が理由となって達成されることになりそうだ。
なにせ、「有料ならいらない」という客のこたえが、これまでの「貧困な品質」を証明するからである。
とすれば、どうやっていまの「在庫」を3月末までに消化するか?が、直近の経営課題になるのであった。
まさか、従業員に配ってしまって「プラゴミ」削減をするかもしれない。