旅に出るとき、なにを持っていくのか?
あるいは、なにを家に置いていくのか?
出張ならそれなりの「道具」としてのパソコンとか、周辺機器は必須だろうけど、個人旅行なら、少しは身軽になる。
ただし、「リラックス」したい、という願望を果たすのに、どれほどのこだわりを持つかによって、その荷物も変わるというものだ。
日本が元気で、さかんに「新製品」を輩出していたころの「画期」をなしたのが『ウォークマン』であったことは、いまでは、「伝説的」でもあるけれど、たしかに、「録音機能がない」という「テープ・レコーダー」という概念には驚いた。
だから、SONY「以外」のライバルメーカーからは、録音機能が「ある」製品が続々と出て、それが「差別化」になっていたのである。
「レコーダー」なのだから、「録音機能がない」のは、あり得ないという常識が、しばらくは消費者にもまだあったのだった。
しかし、どちらにしても、「聴く」ための機器は、「有線のヘッドホン」にかわりはなかった。
それで、「インナー型」でも納得できる音質のイヤホンをつくったのも、やっぱり「SONY」だったのである。
ステレオ・コンポーネントの普及から、カセット・デッキも同時に普及して、音源は「LPレコード」であっても、いわゆる「ダビング」して、「カセットテープ」に録音した。
これを、「再生専用機」で聴くわけだから、「ウォークマン」を持っているということは、その辺の「モノ」を十分に所有している、という証でもあった。
また、「カセットテープ」の材質である「磁気体」にえらくこだわった「高級テープ」もたくさんできて、あーだこーだと選択に迷ったのである。
こうした一連が、面倒くさい(当時の)「高齢者」などは、その財力にものをいわせて、最初からプロが録音した製品の、「ミュージックテープ」を買って、これを聴いていた。
どうせ、LPレコードからの自前の録音ならば、必ず針が拾うノイズがあったからである。
その意味で、「おとな買い」ではあったけど、ジャンルとして「演歌」中心であった残念がある。
だから、「CD」が出たときの驚きは格別だった。
いまでは、ダウンロードさえ「古い」状態で、電子ブックならぬ「音楽配信」では、やっぱり「アマゾンミュージック」がダントツの状態になった。
「アップルミュージック」がいまいちなのは、アップル製品(iPhone、iPod、iPad)を聴くときに無線のブルートゥース機器を使うなら「コーデック方式」が、「アンドロイド」の高音質に劣るからである。
なお、ウォークマンを席巻した「iPod」も、先頃「新製品開発中止」のニュースがあって、すでに「時代遅れ」になってしまった。
それにしてもダウンロードが「アメリカ発」となったのは、「著作権」に関わる「既存法」を、あたらしいビジネスに適応させることに成功した、「議会第一主義」の成果なのである。
日・欧(EU)ともに、官僚主導の「行政第一主義」だから、「既存法」を「保守」することが優先されて、新しいビジネスに適応させることができない。
そんなわけで、アメリカで大流行した、「既成事実」という「外圧」がないと、なにも変えないことが、作り手にも消費者にも足かせになっている。
これが、「規制緩和」の重要なファクターだったけど、なんだかよくわからない「議論」になるのが、日・欧の「いまでも」なのである。
だから、「規制領域がない」分野での、「ものづくり」になるのが、わが国の宿命となったので、「SONY」は、超高級「ウォークマン」を出すしかない。
一台30万円というお値段を聞いて、「たまげた」のは、ビジネス・ソリューションで画期を成すのではなく、やっぱり「音質」の高級だったからで、当該機器に適合した「超高級ヘッドホン」もシリーズ化の予定であるという。
今どきは、小中学生も両耳にヘッドホンなりイヤホンをつけて歩いているけど、自転車で事故ったときの加害者になったら、驚く額の賠償を命令される「判例」が常識だから、人生の破壊危機をつくる機器にもなっている。
これをやめさせない、親(さいきんは「保護者」という)は、なにをかんがえているのか?
「音楽が生活の一部」になったのはよしとして、旅先での楽しみにするには、「持参する」ということに留まっている。
蔵を改装して客室にした宿では、最新のスピーカー・システムが完備されていたので、DVDを持参して自宅ではあり得ない大迫力を体験したことがある。
いまどきは、「ミニシアター・システム」を設置して、自宅で「ふつう」を買っているひともいるだろうけど、「宿」がついていけてない。
隣室との「壁」が薄いと迷惑になるから、小出力のポータブル・スピーカーがちょうどいい。
映画が観られるホテルでも、大画面と音響のセットが揃う部屋はめったにないのだ。
これをどうするか?
あるいは、テレビを置かない、モニターだけの「シンプル」で、スピーカーの設置はある、という「経営判断」もあっていい。
なぜなら、高給をとる富裕層ほど、テレビを観ないからである。
とっくのとおに、テレビ・ニュースを観ることのムダを知っている。