「マニュアル」は役に立たない,という常識がまかりとおっている.
ほんとうに,そうだろうか?
では,「マニュアル」とはなにか?をいえるのか?
残念ながら,おおくのひとが勘違いしている.それも,おおきな勘違いである.
さぁこれから「業務マニュアル」をつくりましょう.
となったとき,かなりの企業組織で,「現状の仕事のやり方を書き出す」作業をはじめてしまう.
ところが,現状のやり方では,それなりのクレームやミスが発生しているだろうから,それを「業務マニュアル」にしてしまうと,現状のクレームやミスがそのまま再現されることになる.
これでは,なんのためにマニュアルをつくるのかわからない.
だから,「マニュアル」は,現状の仕事のやり方を書いたものではない.
「現状でかんがえられるもっともうまいやり方」を書いたものが「マニュアル」である.
すると,マニュアルの前提には,理想の姿があるのだ.
その理想の姿にするための方策が,マニュアルの本質になる.
どんな業務でも,開始と同時に時間のながれにのっていく.
そこでは,数々の業務ルールの発動があり,経過のチェックポイントを通過するたびに,業務内容の確認がおこなわれ,理想とのギャップが発生していれば,これを修正するというサブ業務ルーチンにむかうようにする.これで,業務の結果品質が守られる.
以上の「ながれ」は,どの産業にもあてはまるから,ものをつくらないサービス業でも逃げられない.「サービス」も,時間のながれにのっていくから,むしろチェックポイントをつくることから難易度がある.
それで,これまではその難易度がひくい工業でさかんに研究された.サービス業では,難易度の高さゆえに,ないものとしてあつかわれたのではないか?
「脱工業化」という,工業からのサービス業への進出は,ものづくりがものづくりだけで生きていけなくなったことからはじまる.
つまり,工業をやめたのではなくて,すそ野にこそ価値があることに気がついたのだ.
それを,「スマイル・カーブ」という図で表現している.
人間が笑っているような図になるから「スマイル・カーブ」という.
70年代にはやったマーク「スマイル」の,凹形をした口にあたるカーブだ.これが凸型になると,怒ったような図柄になる.
左右の端が高く,真ん中にむかって低くなるのは,左端が「企画」や「設計」で,右端が「アフターサービス」をしめす.低い中心部は,「製造」にあたる.
製造業で,もっとも価値が低いのは「製造」になってしまった.
宿泊業なら,「客室清掃」にあたろうか.おおくの宿は,この業務を他社に委託してしまった.「してしまった」というのは,本質をかんがえずに,とにかく業務単価をさげたという意味だ.
その証拠に,委託契約に「業務仕様書」すらないことがあるのでわかる.
どんな製品をつくるか?の「企画」や,技術や洗煉されたデザインを詰め込んだ「設計」,そして,つぎの商品企画のための情報収集をふくめた「アフターサービス」こそが,価値の源泉になったのだ.これを実践しているのが,アップルであり,日本ではキーエンスである.
「清掃業務仕様書」が,受託先清掃会社の原本のままという事例をなんどもみたことがある.
これでは,「企画」も「設計」もない.丸投げである.
「客室」という宿泊業にとっての主力商品の製造が,他社に丸投げで平気の平左でいられる神経がわからない.
工業側が,これらの価値の高いしごとはなにか?とかんがえたら,じつは「サービス業」に似ているどころか,サービス業とかわらないことを理解した.
それで,工業のひとたちが,サービス業への進出ということになって,「マニュアル」の問題に気づいたというわけである.
しかし,かんじんのサービス業側がこのことにまだ気づいていない不安がある.
おそろしいことに,そのことが人類史に汚点をのこす甚大な悲劇をつくりだしてしまった.
福島第一原発事故である.
スリーマイル島事故の真摯な分析からつくられたマニュアルが,福島にもあった.
発電所の所長以下の現場,東電本社,原子力保安院,経産省本省,内閣官房,国会,そして学会などもろもろ,これら関係者全員が,その「マニュアルを参照しなかった」のである.
このにわかに信じがたい現実を知った,福島から東京に避難している知人が,全国の有権者,最低でも福島県民の成人全員に,政府あるいは東電は復興費からわずかばかりのお金をさいて,つぎの図書を配付すべしと小さな声で主張している.
齊藤誠「震災復興の政治経済学」日本評論社(2015)
「マニュアルを参照」できないと,たいへんなことになるばかりか,この本で指摘されたことを,反省すらしないのなら,それは人類にたいする確信的敵対行為である.
25年間も復興増税されているのだから,当然に全国民に配付すべしとおもうのだが,待っていても政府はなにもしないから,支援金を寄付するつもりで上述の本は読むべきだろう.