政権の経済失策がチャラになる。
こんなラッキーは滅多にないから、とにかく「パニック状態を作ったもん勝ち」である。
競馬や相撲といった、政府が与えるどうでもいい娯楽からはじまって、民間の巨大遊園地や劇場を閉じさせ、あげくに野外の高校野球も中止させたら、とうとうオリンピックの「延期」までぶち上げた。
委員のだれが言ったかもわからないから、「アドバルーン」にちがいない。
政府に依存する国民は、江戸時代の町民よりも「劣化」して、集団心理をあおられたら、根拠があってもなくてもお構いなしに、もてる財力で「買い占める」ことで満足し、あおられた「不安」から、一杯飲み会から披露宴まで「自粛」している。
たまたまリスク・オフになっているニューヨークの株式市場が、「史上最大の下げ」をしたら、同じく「最大に下げ」たのは原油価格で、国民がなんだかわからないうちに、政府保有のマスクを供出するというニュースが追い打ちをかける。
不足するマスクを「政府が供出する」という無意味が、さらに政府の点数稼ぎになるのだが、これを「真顔」で政府発表するに至って、なお、国民が「歓迎する」のだから、もう二度と「大本営発表」をわらってはいけない。
しかも、半島の学校への配布が排除されたことの善し悪しを議論するのだから、暇人たちの楽園になったものだ。
半島のひとたちが、医療用でもなんでもないマスクをもらえないことに「差別」とかんがえることも、残念なことである。
そんなもんもらっても「予防」の「よ」の字にもならないと、「文明人の科学リテラシー」をたてにして「土人扱いするな」と拒否したら、どのくらいの衝撃を日本人にあたえることができたものか?
こんな大チャンスを自ら放棄したのは、どういうわけなのだろうか?
それとも、文明人の科学リテラシーを、われわれとおなじくやっぱり喪失してしまったのか?
もしや、国内テレビのワイドショーを観ているだけなのかもしれない。
いや、南の大統領は、マスクをした格好で写真を公開しているから、そのレベルだということか?
それにしても、残念なことである。
こんな「騒ぎ」のなか、今週あけ9日に、重大なニュースがあった。
それは、昨年増税された直後からの四半期における、年率換算のGDPが改定値として内閣府から発表されたのだ。
「マイナス7.1%」。
数字の「悪さ」にもおどろくが、理由にもっとおどろいた。
「民間設備投資の不足」
どうかんがえても、「消費増税」が原因だ。
よくも、民間のせいにできるものだと、その「いいまわしの妙」に悪意すら感じる。
それでじっさいは政府が「萎縮させた経済」を、ぜんぶ「ウィルスのせい」にして、アベノミクスの無意味を消し去ろうという魂胆がみえみえになってきた。
こんなデタラメな政府が、かつて日本に存在したか?とかんがえたら、もう思いつくのは近衛文麿内閣しかない。
安倍内閣が極左だというよりも、これを仕切る官僚たちの思想に呆れる。
科学も論理もまったくない、ただ支配欲だけがそこにある。
まったくもって、滅亡したソ連政府のやり方がそのままコピーされている。
ソ連研究者のベンチマークは、わが日本政府であることはまちがいない。
米ソ冷戦期、ソ連側は米軍の弱点を突く戦略を一度も採用しなかったことが明らかになった。
戦略を担当する官僚たちが、現場の声をことごとく無視したからである。
自分たちの「立場」を、国家目的よりも優先させる。
これこそが、「官僚」の「官僚」たる、行動様式なのである。
しかし、一方で、「原油価格の暴落」という大ラッキーも起きている。
減産を協議していた「OPEC+」が決裂したかとおもったら、なんとサウジアラビアが、一国だけ一転して「増産」を決めてしまった。
よほど、アメリカが「シェール・オイル」で石油純輸出国になったことの不安なのであろう。
中東から、アメリカ軍が撤退する恐怖は、サウジアラビアがつくってきた秩序の崩壊にみえるにちがいない。
ところが、こんな「価格」だと、アメリカのシェール・オイル会社の経営がもたない。
それが、株式市場や民間債券市場の「暴落」になると、もしやの「世界恐慌」になりかねない。
レバノン政府が債務不履行になったけど、まだまだ大丈夫。
けれども、12日には、あの「ドイツ銀行」が、「自社債券」の一部で、金利支払いを停止した。
「超弩級」の7000兆円ともいわれる、デリバティブをかかえるのがドイツ銀行問題だから、「いよいよ感」すらある。
それに、日本株の25%以上を日銀が保有するなか、東京市場の落ち込みは、「やばさ」を増していて、年金機構が投資する株式が、もしやの「損」をだす可能性まででてきてしまった。
それで、日銀が日本株の「買い増し」をやっている。
日銀が超過債務状態になっても、政府が資金提供するから大丈夫。
その政府は、ほんとうに大丈夫なのか?
中央銀行の「金融政策」が、なんと自国株の買い増し介入「しか」できないオプションのなさこそが、わが国経済政策のどん詰まりを世界に公表している。
これを、将棋やゲームなら「詰んだ」というのだ。
ああ、将来不安を消費税でまかなうはずではなかったのか?
それが、株式の下げによって「パー」である。
計画経済の計画が頓挫したときの無惨が、ひたひたとやってきている。
まさに、飢えたタコが自分の脚を喰らっている姿になった。
しかし、国民に「マスクを供与」するという政府は、どこまでも「優しく微笑んでくれている」ようにみせて、阿呆と化した国民をこれに「依存」するように仕向けるのだから、キリスト教をしっている欧米人なら「悪魔の所業」と見破るところだ。
しかし、わが国民は、健康のためなら死んでもいい。
こんな倒錯が、個人ではなく社会にひろがって、同調圧力やなんやというけれど、4月1日から施行の「改定健康増進法」は、ますます全体主義に社会をみちびく「標(しるべ)」になった。
もはやマスクをしないで電車に乗ることもはばかれる。
政府の役人たちは、パニックをつくって責任逃れにはしっているが、そのパニックだって「やりすぎ」たらコントロールを失う。
それがほんとうの「パニック」なのだ。
小さな気圧の変化が巨大台風になるように、集団心理がまとまってくると、強大な圧力が社会にうまれる。
それが心配だ。