組織トップによる不祥事がつづいている.
猿の行動にみられる連鎖に似ていて,群れをこえて伝播しているようだ.
これらの一連の不始末の特徴は,突出したトップの暴走,というパターンである.
役員会はブレーキをかける役目をはたせず,むしろ補助して理不尽を加速させる体たらくである.
まさに,「頭から腐った」という姿だ.
なぜこんなことになったのか?
いくつかの理由がかんがえられる.
第一は,理念の欠如である.
その組織の存在理由が理念である.なんのために存在し,なにをもって社会に貢献するのか?が「文章」になっているのがふつうだ.
これを「あってなきもの」とすると,組織は糸が切れた凧のごとく迷走をはじめる.
この究極が,「俺が理念だ」のパターンである.
これは、「独裁」を呼ぶ.
白紙の理念にその都度書き入れては消すから,だれにもわからない.
この疑心暗鬼が,組織の運動になってトップ崇拝を促進すると全体主義ができあがる.
トップからみたら,子犬をしつけるがごとくの組織になる.
第二は,理念の目的合理的な追求をする活動の欠如である.
さいきんはこれを「◯◯ファースト」と言っているが,そうではない.「合理的な追求」という行為である.「◯◯ファースト」は,標語にすぎない.行為がないから,都政も標語だけになった.
第三は,上記二つを組織の構成員が全員共通認識として共有していることの欠如である.
「牽制」が効くのは,目的合理でないことがあれば,たちまちにして組織内で「異常」と認識されるからである.免疫システムの抗体が,異常を正常にもどすのとおなじ機能がはたらく.
さて,上記三点は,健全な組織では,ふだんはあまり意識しないものだ.
ただ,自分たちの「使命」については,意識が高い.
それは,理念とその合理的活動から,「使命」が生まれるからである.
「使命」とは,じつは上記の三点を包括している.
つまり,「使命」の欠如,という問題が露呈しているのだ.
相撲,柔道,レスリング,アメフト,ボクシング,チアリーダー,バスケ,体操と,スポーツ系がつづいている.おそらく,まだまだあるのだろう.
一流選手だったものが,一流の「経営者」とはかぎらない.
スポーツの企業支援は,お金もさることながら,マネジメント層の貸しだしのほうが重要なのかもしれない.もちろん,儲かっている企業からの,である.
これら団体の共通項は,文科省の子会社スポーツ庁の管轄にみえる.
しかし,そもそもスポーツ庁なる役所ができたのは,サッカーくじの管理だった.
くじで稼いだお金を,補助金にしてばらまく,という機関だから,不祥事に対して対処するという想定がなかったろう.
長官が言う「厳しく対処する」とは,「補助金をあげないよ」という意味だ.
それでは困るから,とにかく頭をさげる.
とりあえず,頭をさげればなんとかなる.
この「形式主義」は,封建時代とおなじである.
ちがうのは,本当に斬首されはしないことだ.もちろん,栄誉の切腹もない.
いかに補助金をもらわずにマネジメントできるか?
「寄付」がしづらい国は,ソ連型国営スポーツに成り下がるしかないのか?
ナチスもソ連も,スポーツ振興に予算をつぎ込んだのは,劇場国家にするためだ.
パン(年金)とサーカスを与えれば,国民は満足する.
企業の不祥事も続いている.
大手運送会社の不正請求は,組織ぐるみだった.
わが国に「宅配便システム」を普及させたこの会社の名経営者は,「サービスが先,利益は後」という信念を強く表明していたが,2005年に亡くなってわずか13年にしてこの体たらくである.十三回忌の法要の意味は深い.
人間の行動は,母国語を中心とした言語によって「制御」されている.
日本語しか自由に話せないなら,その人の行動は日本語によって制御される.
思考,すなわち,かんがえるときも日本語だからである.
おおくの日本人は,日本語しかできない.だから,日本語の「言語空間」が,わたしたちに決定的な影響を与えるものなのだ.
そこで,日本人はどんな「哲学・思想」を持っているのか?をあらためて(日本語で)考えると,近代思想のほとんどが輸入品で,そのまたほとんどが「ヨーロッパ」を起源にする.
現代のローマ帝国である,アメリカ合衆国も,ヨーロッパ起源の人造国家だ.
「資本主義の思想史」-市場をめぐる近代ヨーロッパ300年の知の系譜-という大著が今年,日本語で出版されている.
せっかく良書が日本語で出ているのに,「ブーム」にならないのはなぜだろう?
約600ページもある「大著」だからだろうか?
わたしたちは,ほんとうに近代ヨーロッパ思想を「消化」できているのだろうか?
1980年(昭和55年),この年のベストセラーはなんといっても,フリードマン「選択の自由」だった.この本も500ページをこえる大著であった.
フリードマンといえば,今では(日本語で)大批判されている「新自由主義」のなかでも強硬的な「自由放任主義」の大家で,ノーベル賞もさることながら,レーガノミックスの考案者である.
同時期に,サッチャーの英国は,やはりノーベル賞を受章したハイエクの「自由の条件」を下地とした政策が打ち出され,英米ともに新自由主義が与野党共通の「思想基盤」になって現在にいたっている.与野党共通である.
東ヨーロッパの「民主革命」では,ポーランドとスロバキアから分離したチェコが,社会主義からの脱却にハイエクの思想を最初から導入して,ソフトランディングに成功した.
なんと,社会主義時代から,「敵」の研究としておこなわれていた経済理論で,研究者をして「敵が正しい」と納得せしめたのがハイエクだったのだ.
この両国では,その時の研究者が,チェコでは首相に,ポーランドでは中央銀行総裁から大蔵大臣になっている.
ポーランドのバルツェロビッチ氏は,中央銀行総裁当時,EU内で最高のバンカーの称号も受章しているのだ.氏はいまでも健在で,ワルシャワ経済大学の教授である.なお,この大学は経済単科大学として,一橋大学と提携しているが,習うべきは日本側ではないかとおもう.
つまり,なんといっても「思想」が大事なのだ.
相変わらずマルクスに脳髄を犯されたままで,世界潮流の思想を拒否する国.
それがわが国である.
80年代のサラリーマンは,よく読書をしていた.
すでに「ハウツーものばかり」と批判はあったが,フリードマンがベストセラーになったのだ.
ただ残念なのは,「自由」を「自由放任」と勘違いしたことであった.
この勘違いが,組織を腐らせている.