丸山ダムと大衆食堂再び

3年ぶりの再訪である。
既存のダムのわずか47.5m下流に新たに造る「新丸山ダム」の工事がはじまって、旧ダムの展望台を兼ねた「ダム事務所」も山上に移転した。

この「山」には、地元が生んだ「日本のシンドラー」といわれている「杉原千畝記念館」もできたので、「人道の丘」と名付けられた。
そこには、「新ダム」が約20m「嵩上げ」されるので、それによって水没する30数世帯の方々もここに移転したという。

なので、「人道の丘」という命名には、二重の意味がある。

杉原千畝記念館は丘の頂上付近にあるので、そのやや下にあたらしいダム事務所と展示室ができた。
前回訪問したときとちがって、新調されたロビーが展示室を兼ねていたけれど、なんとなくその「やる気のなさ」が感じられたのは残念だった。

前にあった折りたたみ式の椅子がまだ立派にみえたのは、キャンプ用の簡易ベンチが一脚だけあって、その前に「DVDプレーヤー」と接続された小型テレビがポツンとあった。

これらには、あらたな予算がつかなかったらしく、前回とおなじものが運ばれたようだ。

DVD側に問題があるのか、それともプレーヤー側の老朽化なのかはわからないけど、映像がときたま止まって再開すると「針飛び」のように、場面も飛んでしまって、記録映画としては「傑作」と思われる2枚のDVDの映像価値が、ずいぶんと減価されてしまっていた。

なにしろ、この映像の「別れのシーン」が、これ以上ない切なさを表現していたからである。

それで、新ダムによる水没を、二十一世紀になって経験するひとたちの集落を見学しようとしたのだけれども、上に書いたようにとっくに移転は終わっていて、元の集落へと続く道も、工事用道路して一般には閉鎖されていた。
3年前に見ておくべきだったか、それでも遅かったかもしれない。

旧ダムの着工は、1943年(昭和18年)で、竣工は1956年(昭和31年)だった。
戦時中から戦後になって、より逼迫した電力事情のため、という「国策」が強力に遂行されたわけだけど、しっかりした「反対運動」があったとDVDの記録は冷静だ。

このときの人びとの「顔」は、いまのようなヘラヘラした日本人の顔ではない。
これだけでも、このDVDを観る価値はあるが、いかんせん質の劣化は否めない。

これを、「サービス品質」という目線で見れば、「神は細部に宿る」のごとく、豊富な予算がおおいに漏れている理由としての欠如は、官民を問わない現代日本人の特性になったともいえる。

そんなわけで、国道418号線に続く県道353号線で、恵那までドライブすることにした。
木曽川沿いの道が、閉鎖されているためである。

では、どうして「恵那」なのかといえば、前夜の「三勝屋」での食事時に、隣り合ったお客さんに「恵那の名店」を教わったからである。
ちなみに、三勝屋は、地元八百津町製作のグルメガイドに「筆頭」の名店だ。

恵那は、駅前の「ひかり食堂」だという。

国道は「バイパス」と名がつく新道だけど、県道との接合地で「工事中」になっている。
その工事案内板には、完成時に恵那までの驚くほどの「時短」が実現するとある。

これも、「ダム相乗効果」で、「地元保障」ということだろう。
原発城下町も、戦争は儲かるという発想も、天から金が涌いてくるようにして、骨抜きにする古い手法なのである。

既存の県道を行く。
すると、いきなり対向車とすれ違うのが困難な道幅、かつ、起伏のある山道のワインディングになった。

周辺は、鬱蒼とした杉の森しかない、と思いきや、ところどころに集落があって、どちらにも洗濯物が干してある。
どうやってこんな山中に暮らしているのか?と訝しい思いになる。
しかし、よくみると棚田は雑草ばかりになっていた。

100年後にこれらの集落はどうなっているのか?
こんな県道に国道のバイパスが本当に必要なのかも評価できない、外様の自分がいる。

木曽川の右岸が、こんな「高原の秘境」だったとは、走ってみないとわからない。
有名な、馬籠も妻籠宿も、「左岸」にある。

そして、恵那市街に近づいたら、「古墳群」を見つけた。
いったい、いつから日本人は、こんな山奥に暮らしていたのか?
なんだか気が遠くなる。

やっとこついた、「ひかり食堂」は、地元の名店の風格があってなお、和洋中なんでもありの豊富なメニューに気分は昂る。
出てきた料理の味は当然として、そのボリュームにひさしぶりに苦戦した。

美味しいのに、というのは、ベルギー以来のことである。

八百津の宿に戻るのに、恵那から土岐まで中央道を利用した。
途中の「秋雷」の土砂降りに、もしや県道で帰路についたら途中で雨量閉鎖の憂き目にあったかもしれない。

ものの1時間で戻ってみれば、まるで『高野聖』のような体験であった。

名優、故佐藤慶の朗読CDは、いま入手困難になっている。

さては、今夜も三勝屋で舌鼓を打つことにしよう。

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