「アンチエイジング」が、「美容の科学」になってきて、「美容外科」から、「美容内科」へと移りつつある。
公的健康保険制度が、事実上の国民皆保険になっているわが国では、従来からある、「形成外科」とか、「美容外科」にくわえて、「美容内科」も、保険外の自由診療が基本になっている。
「医食同源」を旨とする、漢方のかんがえ方が廃れずに、むしろその正しさが証明されて、なにを食べるのか?が、西洋的な「栄養学」にも転用されてきている。
ただし、だからといって、公的保険制度にはそんな点数表が用意されていないので、あくまでも、民間療法の域をでないでいる。
デカルト以来の、機械論が、人間をロボットのように扱うから、いまは、ロボットを人間に近づけるようにみせて、じつは人間をロボットだとしているのである。
それで、どんな化学的成分が身体によくて、どんな化学的成分が身体に悪い、という話が横行している。
もちろん、すすんで病気になりたいひとはわずかだとおもわれるから、身体によいという食材を視聴者が求めて、ワイドショー放送後に品切れになったことも多々あった。
わたしが記憶しているのは、沖縄の黒砂糖で、わが家でも母が苦労して手にいれていた。
どうしてそんなに欲しいのか?を聞いたら、「お店にないから」が答だった。
なんだか、オイルショックのときの、トイレットペーパーを奪い合った話とおなじなのである。
ひとは不安を解消するために、かなりのムリをする。
このとき、他人のことなんかいっさいかんがえないので、一種の生存(本能)競争なのである。
こうした不安や恐怖の心理を利用するのが、現代のマーケティングになっている。
どうして生存競争が起きるのか?といえば、生物が「死ねる」ようになったからである。
地球最初の生命は、億年単位で「不死」であった。
ところが、進化の過程で、「生殖」ができるようになって、自身のDNAをコピーした「分身=子」をもうけることができると、たちまち親は両性とも役割を終えて死ねるようになったのである。
これがどんなに効率的だったかといえば、環境適合という能力も得たからだ。
このことは、なにも動物だけでなく、植物に備わって、いまも地球で最大の生命体は、植物であることの理由になっている。
それで、植物以外のすべての生命体は、植物をエサにした食物連鎖のなかで生きている。
つまり、地球とは、水と植物の星なのである。
もちろん、原始地球の大気は、95%も二酸化炭素だったので、酸素は存在していなかった。
酸素をつくる植物が発生して、地球環境は激変したのである。
CO2から、酸素(O)2個と炭素(C)1個を分解した。
それで、あろうことか、酸化(錆びる)という猛毒の反応がふつうになったことも、それまでの「不死」から「必死」への大転換になったのである。
なお炭素は、植物の身体(セルロース)になって、これを食べる動物は、再び炭素に分解(消化)してから、自身の身体(炭素)をつくるのである。
そうやって化石化した植物が、石炭や石油になったので、質量保存の法則からしても、「脱炭素」なる政治目標は科学ではない。
どうせ死ぬなら、種の保存をどうするのか?
そうやって、生殖という大革命が達成され、生殖ができない生物種は甘んじて絶滅したのである。
そんなわけで、人間も錆びる。
ゆえに、必死、なのである。
ところが、歴史上の有名(愚鈍)人物たち、たとえば、クレオパトラ7世とか、秦の始皇帝とかを馬鹿にできない不老不死を求める愚を、現代人がふつうにカネで求めだしたのである。
それが、アンチエイジングとか、高価な抗酸化食品の摂取となっている。
健康寿命を求めるならまだしも、不老不死はいただけないことを意識しながら、健康的な食生活を送りたいものである。
そこで、外食やコンビニの惣菜やらの成分をみて、健康寿命すら危ういことに消費者が気づかないといけない時代になった。
大手企業だから安全な「はず」とか、有名企業だから間違いはない「はず」、という「信頼」が逆転して、大手や有名企業「だから」危ないになったのである。
もはや、中学や高等学校で、「化学」は役に立たず、「生活化学」として学ばないと、寿命すら短くなりかねないのだ。
何度も、書いてきたけれど、アメリカの教科書が分厚い(ために電子化されている)のは、説明が「懇切丁寧」だからであるけれど、その懇切に、演繹があって、セクションが進むごとに「具体的応用事例」をみせて、なにを学んでいるかを生徒にイメージさせるのである。
アメリカ人の中学生、高校生レベルでは、日本の中学生、高校生には到底及ばないといわれたものだが、なぜか大学の4年間で完全逆転されて、卒業レベルで比較すると、日本人はアメリカ人に歯が立たなくなる。
まるで「ウサギとカメ」の話のようだけど、以上は基本的に「理系」のことで、「文系」になると、アメリカの超有名大学の左傾化は半端なく、完全なる「ポリコレ人間」に改造してしまう。
アメリカナンバーワンのビール・メーカーがやった、ポリコレ宣伝(とくに「LGBT支援」)があんまりだという反発を消費者から買って、「Budweiser」の売上が25%も激減したら、広告担当副社長を2人ともクビにして、従来通りにすると発表するまでに追いつめられてしまった。
男がグビグビ飲むものという、元に戻すのも、「ポリコレ」ではないか?という左派からの反発は必至で、Budweiserの経営危機はより緊張感が高まっている。
次は、「SDGs」不買運動か?という期待にまで広がっている。
日本における「法案」が、ものすごく古くさい議論にみえるのは、生殖の本筋を忘れた(脳が錆びた)者たちに媚びるからである。
しかして、当の本人たちは、ちゃんと日本記者クラブで、迷惑な法律だと明言している。
国家が国民の「性」にも介入しようというのは、全体主義だと、日本人はわかっているのである。