教育史という分野がある.
さいきん,「日本国民をつくった教育」(沖田行司,ミネルヴァ書房,2017)という本をみつけた.
げにおそろしきは「教育」である.
子どもを人につくりあげるのだがら,時がたてば時代を築くことになる.
二部構成の本書は,第一部が江戸期を中心としていて,第二部の明治から現代への壮大なる伏線を描いている.
とかく,封建時代で厳しい身分制であったのだからと意識せずにいるが,たんに識字率が当時の世界最高だっことよりも,重大な思想的背景がある.
幕末から明治,明治と第一次大戦後の大正,そして,昭和の戦争と戦後といった時代区分ごとに,教育も変容していく.バブルの絶頂と崩壊からはじまる,平成時代も「ゆとり教育」という歴史がある.
しかして,明治の教育令による学校の誕生と,GHQの指令による今日の学校の姿には,とてつもない継続性と断絶が入り交じっている.しかし,そこにうっすらと江戸の思想がよこたわっているのだ.
本書は当然に子どもを対象にした教育の歴史なのだが,その当時の「社会」との関連がくわしい.それもあたりまえではあるが,社会の要請としての教育だからである.
この本にたどりついたのは,昨今の「まじめなはずの日本人」が連続しておかしているさまざまな不祥事の原因追及をしようとしたのが理由だ.
たとえば,自動車会社による検査不正.
社長が交代してもなお続けていた,ということの「重大さ」の原因である.
わたしは,思想,だという仮説をもっている.
ひとはかんがえる葦であるから,思想から行動がうまれる.
生まれてから経験がない子どもは,思想ではなく行動が先になるが,その結果の善し悪しを体験したり,周辺からの教育によって,徐々に思想が形成されるようになっている.
だから,社会人といわれるおとなは,思想からの行動ができるひとを指す.
年齢はじゅうぶん達しているが,行動がさきになるひとを,ふつう一人前のおとなとはみなさい.それで,たまに年齢に達していないのに思想から立派な行動するひとが出現すると,「天才」というのである.
江戸期には,そんな天才が出てくるからふしぎだった.
幕末でいえば,たとえば,年齢とは逆に亡くなった順で,橋本左内や横井小楠だ.
横井小楠は熊本藩士だったが追われて越前福井の松平春嶽にその才を買われた.
橋本左内は,その福井藩の天才的大秀才だから,この二人は松平春嶽という共通の上司がいた.それで,幕政改革のスタッフにまでなる.
共通点といえば,たいへん興味深い点で,当時の授業風景がある.
伊藤仁斎の古義堂,中江藤樹の藤樹書院,緒方洪庵の適塾,吉田松陰の松下村塾も,個々の机はあるが,黒板に向かっての一斉授業をしてはいない.
むしろ,学生が自主的に学ぶ「ゼミ」形式であって,教師はテーマをあたえてそれを学生自ら議論させる方法をとった.つまり,考えさせて学ぶ,というやりかただ.
他人から教わったことだけでは,けっして本人の血肉にはならない,という教育方針が一貫しており,それがそれぞれの年代がことなる「塾」で,共通のあたりまえだった.
これは,いま,企業の内部研修でもさかんな,ロジカル・シンキングそのものである.
しかし,彼らがもとめた学問の意味がいまとちがう.
それは,人としての正しい生き方の追求だったのだ.
職業に直接役に立つ,専門知識とは別の分野こそが「学問」だった.
明治の教育は,これを富国強兵実現のためという「国家目的」に改造した.
これが,形を変え品を変えて,いまにいたっている.
その本質が「立身出世」のための教育なのだ.
いかに生きるか?から,いかに上手に生きるかになったとき,だれもが国家が用意した教育制度=学制の支配下にはいる.
そして,その制度を支えたのが,学校だった.
だから,どの学校をでたか?によって,人間が評価されることになった.
なにを誰から学んだか?は,意味を失ってしまった.
こうして,人間がつくった「体制」という「制度」に依存することが教育になったのだ.
明治の爆発的経済拡大も,江戸時代の教育があってこそ,という皮肉のうえになりたっている.
企業内研修のありかたも,今後は,江戸を参考にするようになるだろう.