保守二大政党制の歴史的はじまり?

作家の百田直樹氏が自費で立ち上げた、あたらしい保守政党、「日本保守党」を発足させると17日に発表され、同日、「結党の集い」が開催された。

これを、「ネトウヨの可視化」と呼ぶひともいるそうな。
うまいことをいうひとがいるものだ。

しかし、設立者の百田氏は作家だし、コンビを組むジャーナリストの有本香氏も、文筆活動をして生計をたてているから、これを「ネトウヨ」というのには、違和感がある。

支持者=ネットで募集している党員が、あっという間に5万人となったことを、「ネットから沸いてくる」という意味で、可視化されていると表現するのはもっともだ。

いわゆる「保守系新党」といえば、「参政党」がある。
こちらは、昨年7月の参議院通常選挙の盛り上がりで、党員数10万人にたどり着いたので、結党してすぐさま5万人の党員登録というのは、凄いことだといえる。

しかし、不思議なのは、参政党がマスコミにめったに報じられないのに対して、こちらの露出度は比較にならないほど多いことだ。

すでに自民党が共産化して、とうてい「保守政党」とはいえないので、保守系の政党が世にでてきたことは歓迎すべき事だが、このあたりの「謎」が、プロパガンダ機関のマスコミとしてなにを企んでいるのかが気になるのである。

このブログでは、ハイエクにならって、「保守思想」に懐疑的な立場だ。

なにを保守するのか?ということが、相対評価になるからである。
たとえば、共産国家における保守とは、急進極左を指す。

アメリカなら、「建国の理念」をいうひとたちを「保守派」というようになったのだが、これは最近のことで、民主党がトロツキー派に乗っ取られてからのことである。
それまでは、「建国の理念」を曲げて解釈する者は、アメリカに存在しなかったからだ。

英国はとみると、わが国の自民党より酷い左派政党に、「保守党」がなった。
かつて、「ゆりかごから墓場まで」という高福祉国家を目指して、労働党と政権争いしたとき、保守党もこの社会主義政策を推進して、労働党との競争をしていたのである。

これを止めたのが、マーガレット・サッチャーだったが、元の木阿弥に堕ちてしまった。

そのサッチャー革命の基本思想が、ハイエクだったから、じつはサッチャー女史は決して「保守派」ではなかった。
この当時の「保守理念」とは、高福祉の社会主義をいうからである。

ではなんなのか?
「自由主義」なのである。

当然に、この思想の背景には、「個人主義」がある。

しかし、個人主義思想ほど厄介なものもない。
「利己主義」と簡単に混同させられるからで、そうなると、あたかも「利他主義」の美しさに誘惑される。

「利他主義」こそが、全体主義の根拠となる。恐ろしい思想なのにである。
他人のために死ねといわれたら死なねばならぬ。
地球環境のためといって、個人の生活に不便やら経済的負担やらを強いるのは、利他主義とおなじ構造の思想からできている。

こうしたことを、個人主義の立場から成り立つ自由主義者は徹底批判する。

個人の自由の侵害にあたるからだ。

大袈裟に聞こえるかもしれないが、不便の強要は選択の自由への侵害になるし、経済的負担の強要は、(経済的)侵略行為にあたる。

目に見えない、戦争犯罪なのである。
なぜか?戦争は、些細な侵害を許した結果のあらわれだからだ。

たとえば、ウクライナでゲリラ戦が行われない不思議を書いたけど、反政府デモすらないのは、これらの行為が強制によって犯罪になるからである。

ただ逮捕されるならまだしも、直接的な身の危険があれば、恐怖が人々を支配するのである。

そうやってみると、「安倍氏を慕う」のも、いかがかとおもう。
どういうわけか、安倍氏が最後の保守人ということになっているけど、彼の長期政権がやったのは、どうみても自由主義の推進ではなく、むしろ、「戦後レジュームからの脱却」と口ではいいながら、「戦後レジュームへの回帰」をやっていた。

この点を突いて、文芸評論家の小川榮太郎氏は、岸田政権が安倍政権の完全なる後継だと評したのは、その通りである。
もっとも、「誰が」という名前よりも、「党」が優先するのが自民党だから、いちいち党内政権交代につきあってもいられない。

すなわち、保守系ということではなくて、自由主義度に注目しないといけないのだが、マスコミは、この視点を国民に与えると、さらなる共産化に不都合なので、「保守」を強調するのである。

これに乗じた、「保守」とは、「似非保守」ではなくて、「似非自由主義者」なのである。
そもそも、その「保守とはなにか?」に話が戻るからである。

わが国が大発展した、明治の成功と、戦後昭和の成功は、どちらも自由主義を基本としていた。

それが、規制でがんじがらめになって、いまや「起業」をするにも、経済局にお伺いをたてないと、許可されないソ連型体制となったのである。

規制緩和は、特定事業者にとっての緩和で、国民全体にあまねく広く緩和されないばかりか、その逆の規制強化ばかりになっている。

これをやっているのが、既存政党の談合政治で、果たして「あたらしい保守政党」がこれをどうやって壊すのか?が勝負なのである。

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