「誤解」を「誤解とも思わぬ」なら、勘違いを通り越してなにやら「悲惨」な気分になるものだ。
しかしながら、何故かくも大勢のひとが「誤解している」のか?を問えば、やっぱりだれも「報じない」ことに原因がある。
もちろん、自分でかんがえることが重要なのだけれど、分業化がすすんだ「現代社会」に報道が必要な所以でもある。
そして、国民の多数がこんな状態にあることをしらないはずがない「政府」も、とうとう「だんまりを決め込む」態度をとり続けている。
したがって、政府も立派な「共犯者」になるのだ。
ところが、
「ワクチンの有効性は95%です」。
と、政府がいっている。
すると、「報道」が鵜呑みしてこれを報じる、という構造になるから、じつは国民が誤解していることの「主犯は政府」なのだ。
そこで、学問(数学)的にはどうかんがえるのか?を解説したい。
まず、誤解の誤解たる解釈から。
「ワクチンの有効性は95%です」。
すると、分母はなにか?ということをかんがえないといけない。
この「文章から」は、ワクチンを打ったひとを分母にしている、とかんがえてしまうのだ。
つまり、ワクチンを打ったひと100人中、95人が罹患せず、5人が罹患する確率だ、と読んでしまう。
ほんとうはどういう計算だったのか?
まず、計算した時点での「事実の数字」を使っていることに注目しよう。
・ワクチンを打ったけど、罹患したひとが8人いた。
・ワクチンを打たなくて、罹患したひとが162人いた。
よって、
8 ÷ 162 × 100 = 4.9% ≒ 5%
1 - 5%(0.05) = 95%(0.95)
ということで、「なんだそうだったのか」になればいい。
ここで面倒なのは、「罹患した」ということが、従来なら「発症した」ということでの社会的コンセンサスがあったけど、今回は、人類史上初めて「PCR陽性」をもって、無症状でも「感染者」と定義したことだ。
何度も書くが、わたしは、このこと自体が「医療崩壊」だとかんがえている。
基本的に、新型コロナによる病気とは、広い意味の「風邪」のことである。
だからふつう、発熱や咳、あるいは関節痛、味覚障害などの「症状」があってから、医療機関におもむいて、医師から「診断」を受ける。
この「診断」をもって、「罹患したひと」=「患者」と認定されて、指定病であれば地元保健所に報告義務が医師に課せられていたのだ。
しかし、今回は何故か?(これもだれも説明しない)「PCR検査」なるものが突然登場し、医師の診断より「正確」ということになった。
もちろん、医師は自分で診断し、目のまえに出現した「患者」に対しては知る限りの医療行為を駆使して、患者を治療する義務を負う。
ところが、医師の診断よりも、検査の方が上になった。
ここに、「専門」としての逆転がある。
人間の医師よりも、検査技術を上に置くのは医師の存在の否定だ。
おそらく、「AI」もこうして「のさばる」ことになるだろう。
けっして、人間型ロボットの世界ではない。
そういうわけで、民間医療機関(主に開業医)でつくる医師会は、公共の医療機関に「偽性の患者」を振って診療を拒否しているのは、「一理ある」ということになってしまったのだ。
すなわち、「検査陽性者=感染者」を診療拒否する、という、そのままでは医療倫理に抵触するような「異常事態」になったのだけど、だれも文句をいえないのは、根底にあるこの病気の認識が、はなからおかしいからである。
さて、計算にもどる。
「95%」の意味がわかったところで、次があるのだ。
上記の8人とか、162人とかは、調べた対象者という集合のうちの、という意味がある。
では、何人を調べて、そのうちの8人やら162人だったのか?
18,000人なのだ。
すると、分母には、18,000人を用いないといけない。
8人 ÷ 18,000人 = 0.0004(0.04%)
162人 ÷ 18,000人 = 0.0090(0.9%)
この数字の意味を分かりやすくするには、1(100%)から引く。
・ワクチンを打ったけど、罹患したひとが8人とは、99.96%のひとがワクチンを打って罹患しなかったひと、ということ。
・ワクチンを打たなくて、罹患したひとが162人とは、99.1%のひとがワクチンを打たなくて罹患しなかったひと、ということ。
すると、ワクチンを打つことの効果は、これらの「差」から求めることができる。
99.96% - 99.1% = 0.86%
文章にすると、「ワクチンを打って罹患しない効果の確率は、ワクチンを打たないよりも 0.86% 上がる」、ということである。
この確率を高いとみるか、低いとみるか、はたまた、副反応の確率とくらべてどうなのか?を判断するのは、本人の価値観による。
例によって、こうした解説を高校数学教師がやっている。
おそらく、予備校講師もやっているはずだ。
高校理科では、『科学と人間生活』という科目ができている。
実生活に科学がどのように応用されているのかを学ぶことで、科学の有用性を先に学習し、生徒に興味を持たせようという趣向だ。
この趣旨からすれば、上記の「計算」は、数学が実生活に役立つという「証明」にもなる。
しかしながら、政府・文部科学省という役所に「忖度」すれば、こんな事例の計算問題を入試で出題する根性がある学校はない。
げにおそろしきは、やっぱりコロナではなく政府なのであった。