政治「音痴」の譜系

前に、資本主義「音痴」について何度か書いた。
よくよくかんがえれば、これは、「近代民主主義社会音痴」のひとつの事象にすぎないことがわかる。

近代民主主義と、自由主義(経済)は、双子のようにセットではあるが、この双子は、決して一卵性ではなく二卵性なのである。
なので、似ても似つかない。
そして、この双子が協力し合って、はじめて資本主義ができる。

これらの歴史的背景は、ヨーロッパ・キリスト教社会にある。

だから、本来ならばわが国では、とうてい「自然発生」なぞしないはずである。
ところが、トインビー博士が明言したように、ヨーロッパ・キリスト教文明とはぜんぜん別物の、「日本文明」においては、「資本主義らしきもの」を発明していた。

織田信長による、「楽市・楽座」の発想と政策は、近代資本主義における「独占禁止法」の趣旨と同じなのだ。
これによって、「堺」という商業都市が、あたかも独立国のようにふるまえるようになって、大発展した。

今様にいえば、「経済特区」である。
しかも、いまよりずっと「自由」だったはずである。
政治の「真剣さ」がちがう。

戦国時代という大競争時代は、末期になるほど戦国大名の「勝ち残り=生き残り」における領地治政の「総合力」が決め手となったからである。
だから、たとえ滅亡しても、歴史に残る戦国大・大名たちの治政に優れた面があったのは、当然といえば当然なのであった。

それをまとめ上げたのが「徳川政権」だった。
果たして、家康ひとりの力とはかんがえにくく、驚くほどのブレーンと事務官僚がいたはずである。
しかし、これらを統率した家康の力量は、やはり尋常ではない。

たとえ家康とおなじスタッフが揃っても、凡人にはとうてい成せないのである。

またこれはある意味、アメリカ合衆国の大統領制のようなものだ。
将軍が代替わりすると、スタッフも入れ替わる。
江戸城は、まさにホワイトハウスであって、これが各藩(州)を統合していた。

アメリカ建国(独立宣言は1776年)よりもはるか前(1603年)に、江戸幕府がはじまっている。
まさに、「日本文明」の真骨頂でもあった。
鎖国ができたのも、当時世界最大の鉄砲保有数が物語るように、南蛮諸国を圧倒する防衛力としての軍事力(これを支えた技術力も)があったからである。

種子島で大枚の金貨を払って購入した鉄砲は、なんとたったの「2丁だけ」で、これを刀鍛冶がコピーした。
できないものは、「ネジだけ」だったのだが、これも製造方法を学び取ってしまって、あっという間に完全国産化に成功した。

ただし、火薬の材料「硝石だけ」は足りずに輸入しないといけなかったので、プロテスタントのオランダとつき合った。

それでいよいよ「鎖国」して、国内における取引に、「内国為替」や世界最初の「先物市場(大阪堂島)」を開設していたけれど、「資本主義」にはならなかった。
「堺」以来の、自由取引(主義)はあったけど、民主主義がなかったからである。

民主主義の歴史をみれば、象徴的なのは英国における「名誉革命」(1688年)だ。
議会による「王権の制限」が行われたのは、「王の行動」に問題があったからだ。

すると、皮肉にもあちらの「王」に匹敵する、わが徳川「将軍」の行動に問題はなかった(ことになっている)ので、「名誉革命」の原因がないし、そのまた原因の「清教徒革命」(1640年)による「カソリック」との対立も、わが国にはない。

「一向一揆」と「島原の乱」は、「革命」にいたらなかった。
それに、一向宗は「浄土真宗」となって、家康に「大谷派」と「本願寺派」に分裂させられた。
また、島原の乱の後は、日本人奴隷売買をいよいよ厳しくして、これをやっていたキリシタン信徒を厳罰とした。

つまり、ヨーロッパとは比較にならないほど「うまくやっていた」のである。

この成功体験が200年続くから、成功体験の「保守」が「自己目的化」した。
それで、「黒船」のショックに「保守」では対抗できなかったのだ。

成功が失敗のもとになる、みごとな経験を日本人はしている。

あわてて、当時の先進国に学んだのは周知の通りだ。
しかし、このヨーロッパ先進国とは、かつて悪辣三昧をしたひとたちの子孫である。
これを、安政の大獄で処刑された英傑、橋本左内は見通していた。

井伊直弼の大罪とは、千年にひとりの逸材、橋本左内(享年25歳)を処刑したことにある。

そんなわけで、わが国では、無理クリ近代化を図ったけれど、国民があまねく資本主義に傾倒したわけではない。
むしろ、「開発独裁」の政府によって、音痴が甚だしい。
「武士の商法」を嗤うけど、明治政府の役人だって元武士たちなのだ。

役人が商売をしらないのは世界共通だ。
アメリカの猟官制が、民間人を役人にする優れた仕組みだったけど、カーター政権が屋上屋の「高級官僚制(SES:「シニア・エグゼクティブ・サービス」(1979年))」を作って、これが、「ディープステート」になった。

わが国は、明治政府の官僚にふさわしい武士不足を回避するために、国史上初の「科挙:高等文官試験」をやって、明治維新の元勲が絶えた後は、官僚組織が「DS」になって今に至る。
だから、双子の一方、民主主義にえらく「疎い」のも当然といえば当然なのであった。

さてそこで、官僚たちの「失政」が、コロナ禍ではっきりしてきた。
とうとう、悪辣三昧の欧米「並み」に落ちたのである。

わが国で、「名誉革命」が起きるか?
ネーミングはどうであれ、時間の問題になってきているなら、まだ救いはあるのだけど。

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