接客を業としていればすぐに気がつくが,名前でお客様を呼ぶとよろこばれる.
個人情報保護が過剰になって,卒業後のクラス会もできないという個の分断を促進するのはいただけないが,パーソナル・サービスとして十分に機能しているのも事実である.
だから,事業者はお客様の名前という情報を得るのに苦労している.
誰だかわからない人を,名前でお呼びすることはできないから当然だ.
それで,各種アンケートをしてみたり,顧客カードを発行したりと,手段の開発と採用にいそがしい.
客側は,財布がふくらむ顧客カードをこれ以上増やしたくない.
それでいて,各種利用ポイントはほしいから,携帯端末に集中させているひともいる.
支払方法を世界水準のキャッシュレス化にしたい政府は,たんに「世界水準の普及率」にこだわっているだけだから,ぜんぜん普及しないことにイラついている.
昭和の時代に経営危機になった東芝は,当時世界最高水準の「真空管技術」をもっていた.しかし,その当時に,トランジスタの量産がはじまって,真空管技術にこだわった会社が倒産の危機を迎えたのだ.
気がつけば,わが国は世界最高水準の紙幣印刷技術をもっている.
しかも,製紙工程で紙に漉き込ませる極小チップをいれれば,電子的な方法で真札であることが証明できる.それなのに,電子決済とは,トホホである.
わが国とならぶ現金流通がぜったいの国は,世界を見渡していまやロシアだけだ.
わが国の印刷技術で,ルーブルを印刷してあげるというのも経済協力になる.
国立印刷局の仕事もふえていいだろう.
「メイドインジャパン」の紙幣を輸出するというビジネスだ.
銀行口座の制度と与信制度が便利さをつくる欧米での電子決済の普及と,不動産担保での与信しかできないわが国では,普及率の比較自体がナンセンスだ.
どうしても,外国人観光客からバカにされたくないから,電子決済をやりたいなら,与信システムを変えなければならないだろう.
ついでにいえば,外国人労働者の本国への仕送り送金をどうするつもりなのか?
まさか,銀行からの送金を義務化したら,バカ高い手数料で暴動になるかもしれない.
彼らの送金需要から,ビットコインの普及が促進するかもしれないが,高級官僚にはわからないだろう.
これらのはなしは,お名前を呼ばれてうれしい,というはなしとはちがってみえるが,利用者目線の重要性という点で一致する.
日本政府と国民代表であるはずの政治家の目線が狂っている,ということだ.
つねに上から目線,これで民主主義だというのだからこまったものだ.
ところが,民間企業でもこまったことが蔓延している.
上司と部下の関係が壊れだしているのだ.
この場合の上司とは,経営者であることもある.
ならば部下とは,管理者になる.
部下をもつ,経営者や管理者は,自分の部下の氏名と年齢を正確に書けるだろうか?
むかし,生徒数千人をこえるマンモス小学校で,そこの校長先生が全生徒の名前を覚えていたというエピソードがあった.
いま,とやかくいわれる学校で,校長は全生徒の名前をまちがえずにいえるのだろうか?
もちろん,全生徒の名前をいえるこの学校では,休み時間に校長も校庭に出て,会う生徒にかならず名前をフルで呼んで声かけをしていて,呼ばれた生徒はうれしそうに挨拶をかえしていた.
小学生にしてこれである.名前で呼ばれることは特別なのだ.
部下のいるあなたは,そのひとたちの氏名と年齢を正確に書けなければならない.
もし,書けないなら,あなたの部下は,自分の名前を知らない人が上司であるということになる.
これで,組織としてビジネスが成立するのか?
人間という高度に社会性をもった動物は,その本質に自己の存在を確認したがる性質がある.
他人から自分を認識させるものが唯一,名前,なのである.
「ねえ,きみ」と声をかけられて,それが番号だったらどうだろう?
いきなり「囚人」になってしまう.裏返せば,囚人を番号で呼ぶ理由がわかる.
だから,部下の氏名と年齢は正確に書けなければならないのだ.
これが,組織行動を円滑にする最小限のルールである.
上述の校長先生は,生徒の氏名だけでなく,保護者も覚えていた.
苗字だけでなくフルネームで「◯◯◯◯君のお母さん」と呼ばれて,嫌なおもいをするひとはいない.
だから,マンモス校だからといって学校運営のトラブルは皆無だったのだ.時代背景がちがう,というよりも,こうした先生がいなくなったことが時代なのだろう.