横浜市営バスの大幅黒字路線が、民間バス会社に譲渡されたことがローカルな話題になっている。
半世紀前、大型団地ができたことで、住民がバス路線開設を陳情し、市交通局がこれを受けて開業した。路線の距離はわずか1.4キロメートルだが、横浜にありがちな「急な山坂」を登るため、利用客の数は多い。
団地住民の「高齢化」で、ますますその需要は高まるというよりも「死活問題」になっていた矢先の民間への譲渡となったのである。
路線が譲渡されたとはいえ、運行ダイヤに変更はなく、さらにバス自体が「大型車」になったのは、民間のバス会社に「中型車両」の保有台数が少ないことによる。
つまり、住民にはメリットになっている。
しかしながら、「市営」でなくなったことを「惜しむ声」が絶えないのである。
この意味は何か?が本稿のテーマである。
実は、横浜市民にとって、市営交通は「誇り」でもあったのである。それは、「市電」に遡る。
市中心部を縦横に走っていた「市電」は、「ちんちん電車」として愛されていた。
また、横浜駅を発着する循環路線には、「トロリーバス」が採用されて、市電と並行する道路の空中は、双方の「架線」がひしめいていた。
ベイブリッジも、首都高も「なかった」時代、すなわち「高度成長期」とは、第二次性徴期の「急速な伸び」で、皮膚が痛いほどに内部の成長と表面の成長速度が一致しないように、「世界一」の港湾があった横浜市内の交通渋滞が深刻になった時期でもあった。
簡単に言えば、道路整備と実態がぜんぜん一致していなかった。
これは、「都市計画」すら間に合わなかったことと関係している。
関東大震災と横浜大空襲という、2度にわたる市域の「大規模焼失」があったけど、名古屋のような都市計画をしなかったことの「つけ」でもあった。
横浜を走る「国道」は、東海道の「1号線」と、首都圏の境界となる「16号線」がメインである。
なお、郊外には246号線がある。
1号線の海側に京浜工業地帯の産業道路として、15号線ができて、これを「第一京浜」と呼んだ。
それで、1号線を「第二京浜」、さらに陸奥に、「第三京浜」を作った。
大阪と神戸の関係に似ているのは偶然ではない。
それでも混雑がおさまらないので、「第一京浜」の頭上に、首都高「横羽線」を作り、まだまだとして「湾岸道路」を作った。
しかしながら、これらの道路は、「京浜間の東西交通」に対応したものだった。
南北を走って、東名高速道路に接続する道が、国道16号線「しか」なかった。
しかも、上下二車線なのである。
元は、東海道から分岐した「厚木街道」であった。
それで、「保土ヶ谷バイパス」を作った。
この高規格道路は、あくまでも国道16号の「バイパス」であって、開業当初から「無料」の道である。
よって、「旧道」となった16号の交通は、画期的といえるほどに混雑緩和されたのだった。
さて、はじめ横浜市が交通局を作ったのは、民間の事業体が未発達で、市民の足が不便という事情を優先させたからである。
だから、民間事業者が発展すれば、交通局事業を縮小するのが筋であるけど、民間への「変換」の仕組みをあらかじめ用意していなかった。
今回の「路線譲渡」は、不採算路線とバンドルして処分する、交通局側の「赤字」という事情がある。購入する民間側は、不採算路線を受け入れる条件に、トップクラスの黒字路線を手に入れたのである。
だから、「経済取引」なのである。
にもかかわらず、この黒字路線を手放したことだけがひとり歩きした。
交通局の説明は、バスの車庫がある営業所から、この短い路線は「回送」車を走らせないといけないけれど、国道16号線が混雑して、今回譲渡した「相鉄バス」の許可エリアを走行しないといけないから、効率が悪いという「詭弁」を述べた。
市内きっての黒字路線に、何おか言わん。
「効率」がいいから、黒字なのだ。
保土ヶ谷バイパスが存在しないならまだしも、いまさら「混雑」をいう。
「赤字路線」を売り飛ばすための「飴」だといえばいいのである。
こうした販売方法を、「バルク」といって、大手旅館チェーンやホテルチェーンが、事業をスリム化する際にやる、「売却手法」とおなじだ。
すると、問題は、「国鉄」のように過半を占める「赤字路線」をどうするのか?という根本問題が、先送りされていることだとわかる。
これをそのまま信じてしまうひとがいるのは、コロナを信じるも同然の、知能が比較的低くてマスコミ報道に影響されやすいひとたちだ。
さらに横浜には、「バス・カースト」と言われる「処遇制度」がある。
最下位が「神奈川中央交通」で、その上が「相鉄バス」、最上級に「市交通局」がある。
退職後の年金も含めて、「バス運転手」という職業に、事業体による「階層」があるのだ。
だから、神奈川中央交通に入社して、それから相鉄に転職し、さらに交通局採用になれば、「エリート」とされる。
「路線譲渡」がスムースにできたのは、「人員」の譲渡はなかったからだろう。
そんなわけで、市交通局の赤字を最後は市民が負担することになるから、ノスタルジックになれる人は、「幸せ者」である。