役立たずの議会と議員たち

いまさら、「民主主義」を漢字で書いて意味をしる。

国民が「主」だという「主義」をいう。
外国語でいう「デモクラシー:democracy」の語源は、古代ギリシア語の「デーモクラティアー」で、「人民・民衆・大衆」などを意味する 「デーモス」と、「権力・支配」などを意味する「クラトス」を組み合わせたもので、「人民権力」「民衆支配」、「国民主権」などの意味だ。

大筋として、この概念が現代でも通用するから、あんがいと現代社会は、「古代ギリシャ」の申し子になっている国が多数だ。
もちろん、わが国も「民主主義国」を標榜している。
なので、学校の「世界史」で、「古代ギリシャ・ローマ世界」をしつこく学ばされる意図はここにある。

生徒にとっては、はるか遠くのなじみのない歴史であって、やたらとカタカナで長くて似たような名前の人物名を、年代と一緒に暗記させられる。
「民主主義の歴史」というタイトルではなく、あくまでも「通史」だから、飽きてくるのだ。

アジアが重要だ。
こういいながらも、アジアを支配しヨーロッパの半分までも手中にした「モンゴル帝国」のことは、あっさりと済ますのも、学校の歴史科目としては、「時間数配分」の犠牲となっている。

ほんとうは、生徒が犠牲者なのだけど、おとなの事情はいわないのが教育界の「しきたり」なのである。

これに、戦後の絶対的国家方針、「反日」が「教育」にも貫かれているので、明治・大正期と昭和の前期には、民主主義はなかったことにする。
あたかも贋物臭でおおうのが、「大正デモクラシー」という用語の存在で、しかもこちらは「日本史」という科目分類になっている。

「民主主義こそわが国の基本的価値観」という首相がたくさんいる。
なのに、「民主主義の歴史」を教えず、その「仕組み」は、なんと「公民」という別教科にしているから、これで「三教科」にまたがる「分断」をさせている。

ようは、生徒にはわからないように仕向けているのである。

さらに、「世界史」であろうが、わが国戦後の事実上の宗主国にあたる「アメリカ合衆国」の歴史も、アメリカ合衆国の公民も教えない。
だから、アメリカの政治制度について、日本人の一般人は教わることなく社会人になるのである。

もちろん、「独立国とはなにか?」という根本も教えない。

そんなわけで、わが国の「現体制」はつくられている。
何度も書くが、わが国が「まとも」だったのは、昭和の前期(一ケタ生まれ:昭和9年)までがしっていた、一等国としての世界の常識を教えていたときまでだ。
これ以降は、「超ゆとり」の「国民学校世代」となる。

一ケタの最後、昭和9年は1934年なので、80歳になったのは2014年(平成26年)だ。
兵としての戦争経験者では、昭和2年生まれが境界にあたる。16歳で大東亜戦争が開戦となって、「幼年(少年)兵」として戦場に出た。
なので、最若年の兵隊経験者が80歳になったのは2007年(平成19年)である。

よって、わが国で「軍隊経験者」の多数は、ほぼその世代ごと世を去ったろう。

ちなみに、軍の教育制における「幼年学校」は、満13歳以上・満15歳未満の男子(主に旧制中学校2年生:いまの中2とおなじ)だったけれど、その「エリート性」は抜群で、卒業後は「陸軍士官学校(陸士)」を経て、「最上の高級軍人(旧制中学卒との別があった)」となった。

海軍においては「予科練(海軍予科飛行練習生)」がこれに近く、また、「陸軍大学校(陸大)」は陸軍省ではなくて、参謀本部が管轄していた。
陸軍省(軍政:人事、予算)と参謀本部(作戦)は別組織である(海軍も同様:海軍省と軍令部)。

陸士を出て、「参謀適格者」として推薦を得、陸大へいけたのは同期の1割程度であり、「幼年学校組」が圧倒的有利だったし、陸軍省人事課長も幼年組が歴代を独占した。
陸軍のなかの超エリート養成校なのである。

そんなわけで、戦後のわたしたち日本国民は、「民主主義の教育」も、「軍事」も体系的に受けていないという、驚愕の事実がある。
なので、なんとなく選挙にいって「投票」しているのである。
もちろん、立候補するひとはもうちょっと勉強しているはずだけど、「大差」があるはずがない。

そもそも、地方議会が、「立法府」だという意識もない。
「法律」と「条令」のちがいだって、スラスラこたえられる一般人がどれほどいるものか?
おなじ「選挙」で選ばれる、知事や首長と議員のちがいをしらないひとたちが、それぞれの「役職」についている。

だから、議員よりも知事や首長のほうが「偉い」という勘違いがふつうになる。
知事や首長は、地方「行政府」の「長」にすぎない。
民主主義なら、第1位は「議会」にある。

効果が科学的にも認められない「発令」を、何回も懲りずに出せる知事を、議会が制御できない。
「三密」という不思議を繰り返しながら、電車の本数を減らすように要求する魂胆は、ただ「命令したい」というサイコパスの欲求不満だった。

議員がなにもしない、という驚くべきことをやっている。

この議会の怠慢を、だれも報道しないし、だれも問題視していない。
わが国に民主主義はあるのか?

夢幻のなかに生きている。

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