刺激であるストレッサーが原因となって、ストレスがうまれる。
身体的な痛みもストレッサーだから、連続して受ければストレスになる。
けれども、あんがい人に影響があるストレッサーとは、社会だったりするのである。
人は一人では生きていけない。
つまり、人間社会、という集団のなかでしか生きられず、組織という特定集団こそが自分の居場所になるから、それ自体がストレッサーになってしまうことがあるのだ。
その最小単位が、家族だったり職場だったりする。
しかし、これらの身近な人たちから受けるのは、なにも悪いことばかりではなく、むしろ「幸福感」だってある。
すなわち、「相互作用」なのだ。
さまざまなストレッサーからうまれたストレスに、対処できる能力を「レジリエンス」という。
はね返す能力のことだ。
だから、レジリエンスがある人を、ストレスに強いとか、タフという。
世の中の全員にレジリエンスがあればよいが、そうはいかないのも人間であって、あえていえば、「個体差」がある。
生まれつきか、育ちによるか、それとも性格か?あるいは、社会経験も影響するので、おとなになっても変化する。
たとえば、この流行病では、意外と高齢者に強いストレスとなって、著しい行動変化をみることができた。
ふつう、人生経験豊富な高齢者は、社会的なストレッサーには対処能力が高いと考えられてきたからである。
しかし、高齢者ほど重症化する、という情報によってまったくちがう様相を示したのである。
あれだけいわれた、病院通いがパタッと止まった。
待合室における三密のリスクを避ける行動が、自身の病気リスクを上回ると判断したからである。
これによって、医療機関が受け取る報酬がどのくらい減ったのか?
もしや、わが国における「医療崩壊」とは、医療機関の経営難から発生するかもしれない。
近所のクリニックが倒産して、かかりつけ医がいなくなる意味での「崩壊」だ。
すると、こうした目にあった医師や看護師などに、かつてないストレスがかかることになるから、その精神的な影響はいかなるもので、さらにまた、こうしたことが社会へフィードバックされていくと覚悟しないといけない可能性もある。
もちろん、問題は医療機関だけではなく、これからはじまる「不況」における被害予測というストレッサーがある。
悪いことが予測されるだけで、人はストレスになるのである。
これは、人に思考能力があるからで、負の思考を繰り返すと病的な状態に陥ってしまうのだ。
レジリエンスの科学でいう、楽観的な人ほどレジリエンスがあるのは、楽観的な思考をするからである。
正負を決める恐るべき違いは「自身の思考」による。
だから、他人の思考にあわせる必要もない。
なにがサバイバルになるのか?
自分でかんがえ、行動するしかないという、「当たり前」が、ほんとうに当たり前になる時代がやってきた。
これは、歴史の変わり目なのである。
過去の歴史を振り返って、その時代に生きていた人々は歴史的大転換の時代をどう思って生きていたのか?と問えば、大多数はあんがいと気がついていないのである。
気がついた小数が、その時代をけん引してきた。
これだけ「情報社会」といわれても、現代人の大多数はまだ気がついていないのではないか?
その原因の一つに、マスコミの不安誘導がある。
視聴者の視聴率を高めることだけが、収入源になっているからだ。
つまり、テレビや新聞といったマスコミに接しないことが、心の健康につながるのである。
さらにいえば、正しい情報を自分で探すという手間をかけなければならない時代になった。
「情報社会」とは、正しい情報が向こうから自然にやってくる社会ではなかったのだ。
そして、これが情報格差をつくる。
格差社会の本質がこれである。
テレワークが人々の心の健康にどのような影響を及ぼすのか?
レジリエンスの科学における、長年のテーマが、いま現実として研究対象になっている。
想像で語っていた状態が、現実になったのである。
社会実験が実社会で行われている。
果たして、人が他人と分断されたとき、つながりがないというストレッサーにどう対処して心の健康に役立つのか?
それが「テレワーク」や「リモート」でカバーできるものなのか?
カバーできないとしたら、それはどんなことなのか?
レジリエンスの科学の進展に注目したい。
詳細は、『日経サイエンス8月号』をご覧あれ。