数学を文系に再教育するには

「数学」と聞いて、怯むか?すぐさまその場から逃げ出すか?

文系の悲しさは、「苦手」の刷り込みが激しいために、とにかく拒絶反応を示すしか対応方法を見つけられないことにある。

中学校の数学教師に、どうして数学を習わないといけないのか?と聞けば、いまどきなら、正直に、「受験に役立つ」と答えるかもしれない。
気の利いた教師なら、「論理が身につく」とでもいうのだろうか?

すると、気の利いた生徒なら、国語における読解力と数学の論理は、どう違うのか?と質問するかもしれない。

むかし、まだ「進学塾」やら「予備校」に行くのがふつうではなかった時代、義務教育の数学教師(中学校のこと)は、ちゃんと人生に役に立つものだといっていた。
だから、義務教育期間で勉強しておかないと、人生の損になる、と。

本当は、人生の役に立つから数学を教えていたのに、受験に役立つのが優先されるようになったら、人生に役立つ教え方が優先されなくなったのである。

それで、ますます「抽象化」して、だからなんなんだ?をかんがえる子供には、この上なく退屈な時間になった。

だからこんな役に立っている、といちいち具体例を挙げて説明していると、授業時間数が足りなくなって、管理職の校長に叱られることになった。

もしも校長が数学教師だったひとで、自身の教育方針だからとこんどは頑張ったりしたら、確実に教育委員会から叱られるように、管理教育体制(官僚制)だけは完成した。
もちろん、そんな面倒な校長には、教職員組合も反旗を翻す。

それゆえに、学習指導要領というマニュアル通りが、なにがなんでも「無難」なのである。

ありがたいことに、そのマニュアル通りを貫けば、成績が悪いのは生徒の責任になるようにできている。
なので、成績を上げるために、塾通いをするのは、親と本人の専らの努めになって、それが虐待だというものはいなくなった。

むしろ、生徒の日常は、課外活動たる部活と塾の両立で、親より厳しいスケジュール管理の生活に順応しないといけなくなっている。

教師の方も、過剰な課外活動たる部活が、その勤務体系をいたずらに過酷にしているけれど、授業の充実が間に合わない、恰好の理由づけにもなっている。

だから、おそらく進学校の授業の充実は、「わかる」を優先させているに違いない。

それには、先に、これがわかるとなにに便利な応用ができるのか?を教えているはずなのだ。
それから、おもむろに、教科書にある抽象的だが基礎理論の解説を始めて、その内容と応用とを常に確認して生徒には飽きさせない工夫をしていることだろう。

進学校に行かなかったわたしでも、自分ならこうして教えるとおもうからである。

子供には、人生で初めての情報接触体験が、科目別に整理されている学校の授業となるので、だいたい小学生でも高学年になると理解に差が生じてくる。
これを、よってたかって本人にインプットを試みるから、折れた子供はアウトロー方面へ向かうしかなくなる。

しかしながら、よくよくおとなが見れば、中学校卒業までの教科書の分量は、たいしたことはないのだ。

生徒たちがこのアウトロー方面に、高校になって一斉に向かうのは、高校の学習内容が急速に高度になるからよりも、むしろ、反復の機会がずっと減るからである。
すなわち、進行度合いが早く、しかも教師はより機械的で授業構成に工夫がなくなる。

工夫をした授業をしたら、時間数が足りないからだけど、専門学部卒の高校教師は、その専門科目の教授法を大学で勉強したこともない。
教授法の素人がいきなり教壇に立って、上から目線の態度で給料がもらえるのである。

私立で、中高一貫という進学校のエンジンは、上で書いた、中学3年間で全開しているので、この分のアドバンテージがあるのだといえる。

公立で中高一貫校が鳴かず飛ばずなのは、これとは違う、慣らされた中学3年間が、ムダになっている、ともいえるだろう。
だが、公立校に、学習指導要領から外れた授業を要求するのは、その上の教育委員会が許さないという構造になっていることを思い出さないといけない。

つまり、公立の中高一貫校とは、最初からそんなもん、なのである。

すでに21世紀の後半を現役世代の社会人として生きていかないといけない、いまの子供達になにをどう教えるのか?という問題は、完全にサバイバルにおけるアドバンテージづくりを意味する。

そのために数学を基礎とした、化学や物理は、20世紀の日本が得意とした分野とはちがった分野なのか?どうなのか?をおとなが吟味しないといけない。
もはや、道具はコンピューターからA.I.に移っている。

役に立つ数学を早いうちに教えて、本人たちを納得させるのがおとなの役目になっているのだ。

逆に、間に合わなかったおとなに対しての再教育という重要な側面もある。
すると、これらは、ベストセラーの種なのである。
学校の教科書は、確実にカバーしないし、教師も教えない。
ましてや、進学校の教師も、「秘密」ゆえに公開しない。

ついでに、自習ができるように、学習用電卓の使い方とあわせて解説してあればなおよい。
それなら、まだ、社会人になっても「生涯学習」の対象になるからである。

どんな会社にも、数字はあふれているけれど、これを扱うのは経理部だけだ、というのは、とっくにナンセンスだ。
文系だからでは済まされない、数字の妙は、その応用にこそあるけれど、基礎とのセットで学ぶ機会がないのである。

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