東京の中心で「変」を叫ぶ

千代田区が荒れている。

区長と議会の対立は、区長が議会の解散を宣告し、これを区の選管と総務大臣が無効と言ったら、区長は裁判所の判断を仰ぐという。
また、初当選した3年前の選挙では、都知事の応援があったけど、この騒動で都知事は「区のこと」としている。

報道によると、事の発端は、区長が家族で購入した区内マンションが「抽選外」で購入できて、その理由にある「特別」とはどうやら「容積率の割り増し」という貢献をしたからだという。
区長権限の個人への悪用ではないか?という疑いがうまれた。

そこで、区議会は区長の証言をとろうとしたが、埒もないので100条委員会という伝家の宝刀を抜いた。
この委員会での「偽証」をもって、区長は「刑事告発議決」をくらった。
それで、刑事告発議決をすること=不信任議決だという「解釈」をして、地方自治法178条をもって議会解散を告げたのである。

ところが、この「お告げ文」を議長に手渡しても、議長は断固として受け取らなかった。
このときのシチュエーションは、春先に「やらない」と区長が公言した、コロナ見舞金(12万円/区民)を「やる」といいだしから、区の予算委員会も紛糾し、その「休憩時間」という間隙をついたものだった。

さらに、突然議長室に区長がやってきて、この「お告げ文」を差し出してからの押し問答のやりとりは映像記録されている。
議長がしきりに「総務省見解」をたてに拒否しているので、冒頭の総務大臣の発言は、とっくにあった見解の「追認」をしただけなのだろう。

というわけで、わが国の中心である東京の、そのまた中心である千代田区で、「変」が起きている。

さいきんの記憶で、千代田区といえば、内田なにがしという都議会議員が知事をもしのぐ「都のドン」だったことぐらいだったけど、とっくに引退している。
ただし、このひとの女婿は現職の千代田区議でもある。

「区長」対「全議員(25名)」という構図は、わが国ではなかなか珍しい。

当然だがマスコミは、発端となった「疑惑」があるから、区長が悪だと暗示させるような報道姿勢である。
首長のこんな横暴がまかり通るなら、全国の自治体がおかしくなる、といってあおっている。

しかし、「賽は投げられた」のだから、どうかんがえるべきかを別の視点から論じてみたい。
人生には取り返しのつかないことがある、からである。

本件では、「区長が議会解散を告げた」という事実が、取り返しのつかないことにあたる。
また、これ以前に、「議会が刑事告発の議決をした」という事実も、取り返しがつかないことなのだ。

そして、議会は総務省に依っていて、区長は裁判所に依っている。

三権分立しているといいながら、本当は三権分立していないわが国で、三権分立しているはずだと主張する区長の態度は、正義に満ちている。
25人もいる議員の全員が、この区長に対峙していて行政当局の元締めである総務省に依るのは、いったいどういう了見なのか?

それは、「従来秩序の維持」という常識が、25人の区議にあるのだといえる。この意味で、千代田区民の常識が議員にひとりの洩れもなく具現化されているのである。
けれども、「従来秩序の維持」がすべての前提にあるということは何を意味するのか?

このブログで何度も主張してきた、「国家行政による支配」を意味する。
すなわち、わが国に事実上「地方自治」なんて存在せず、旧自治省=現総務省のいいなり、ということを「よし」とするかんがえにほかならない。
その旧自治省とは、さらにさかのぼれば旧内務省のことである。

敗戦を境に中央省庁の看板の掛け替えがおこなわれた。
現在最強とされる大蔵省は、このとき看板は掛け替えず、いまの財務省になったのは「不適切な接待」とか「金融危機」による。
大蔵省解体論があるけれど、職員をクビにしたわけではなく、金融庁を創設しただけだった。

ほんとうの「最強」は、旧内務省なのである。
鳩山内閣で廃止した「事務次官会議」も、いまは「次官連絡会議」になっているけど、この会議の議長こそ、官僚の中の官僚、わが国の筆頭官僚が務めるポストなのだ。

それは、事務担当内閣官房副長官であって、歴代おおむね旧内務省・旧自治省事務次官経験者が就任することになっている。
そして、事務次官なら一般職だけど、内閣官房副長官は認証官なのである。
このちがい、お分かりか?

個人が家族をつくり、家族の集団が町内会・自治会で地域を支え、その集合体が自治体となるなら、日本全国の自治体を支配するとは、わが国民を支配するということになる。
これが、旧内務省・旧自治省で、いまでいう総務省の行政なのだ。

だから、たまたまとはいえ、わが国の中心地・千代田区で起きていることは、総務省支配の終焉か、継続か?ということでもなく、もはや裁判所に委ねるということが、蟻の一穴を意味するのである。
総務省見解 → 選挙委員会の解散無効判断 → 総務大臣の解散無効見解を無視した区長の、司法判断優先とは、まさに反乱の意味の「変」なのである。

さては、司法の判断とは、三権分立に向かうのか?
それとも、国家行政当局の支配継続を維持するのか?

「大変」なことになっている。

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