商店街が消える。
ずいぶん前からの「問題」だ。
しかし、これはもっと「ミクロ」でいえば、「お店=個人経営」が消えてなくなっているのである。
商店街の商店には、いろんなお店があるけれど、どこに行っても目立つのは「八百屋」や「魚屋」だった。
そして、「肉屋」といえば、「惣菜」も定番の一つである。
もちろん、「惣菜専門店」もあった。
ランダムに、衣料品店と電気屋、酒屋にお菓子屋が並ぶのも、商店街ならではだった。
小学生がお世話になったのは、文房具屋で、小さな書店も成り立っていたのは、定期刊行物の予約販売があったからだ。
いまのように「おしゃれ」とはいえない、質素なパン屋では、質素なパンを売っていた。
自宅兼用の豆腐屋もなくなって、作りたての豆乳を空瓶を持って行って買っていたのは遠い昔のことである。
靴を売るだけの靴屋ではなくて、修理を前面に出しながら売っている店もあった。
修理といえば、時計屋とか仕立ての洋服屋でも扱っていたし、クリーニング屋も染み抜きをしてくれた。
大物では、家具屋があったし、カーテン屋とか布団屋もあった。
洋品店だって、竹の定規を手早く使っていた生地屋もふつうであったのは、「洋裁」ができるひとがたくさんいたからである。
だから、毛糸やボタンの専門店もあった。
足踏みミシンだけでなく、「編み機」もふつうに家にあったのは、主婦の内職ではなくて、趣味と実益だったのである。
そうやって考えると、あんがいふつうの家庭も、家内工業のまねごとをしていて生産的だった。
毎日同じセーターを着ているから、肘の毛糸が細くなってほつれたのを、「アップリケ」でカバーしていた。
それがなんだか羨ましくて、自分のセーターにもつけて欲しいと母にねだったら、穴が空いていないからいらない、と言われてガッカリしたことがある。
高学年になったら、学校で使う「雑巾」を自分でミシンで縫っていた。
「買うもの」になったのが、驚きでもある。
ミシンがある家の方が珍しいのかもしれない。
すると、ミシンがふつうに家にあった時代とは、凄いことなのだ。
国内であろうが海外であろうが、商店街を歩くのは楽しい。
手軽なのはスーパーマーケットだけれども、何をどんなふうに売っているのか?というのは、十分な「観光」になるのである。
その意味で、海外の方は、ヨーロッパでもむかしの「市場(marché)」が残っていて、見て歩くだけでも楽しい。
日本にもなくはないけど、なんだか「観光名所」になっていて、肝心の「生活臭」が乏しいのである。
国民皆兵で、核シェルターの設置義務があるスイスでは、景観のために窓辺に花を飾らないといけないし、洗濯物を外に干してもいけないから、どこを歩いていても生活臭がない、という「問題」がある。
ターミナル駅の裏側地域は、その例外だけれども、今度は「身の危険」という問題がある。
国土全部を「公園」として、料金をとって「見せる=魅せる」ことをやったから、外国人や一見さんの観光客に、スイス人の素顔は見えないようになっている。
この点、まったく「無防備」で、料金をとって「見せる」ことすら考えないのは日本人の良いところでもある。
他人に見せるためでなく、自分の快適のための清潔が、欧米からの訪問客を驚嘆させた。
しかして、あまりにも日本人の当たり前だったので、これを「観光資源」だと、いまでも考えることができない。
観光大国になれない理由である。
だから、観光立国なんて絵に描いた餅よりひどい。
なぜなら、どんな状態が「観光立国」ということかも「描いていない」からである。
だが、このことは「悲観」にも値しない。
最初から、なかったことだからである。
それよりも、「日常」が消えていくことの方がよほど問題なのだ。
その典型が、商店街にあった「定番の惣菜」と、それを提供していた「お店の廃業」なのである。
理由の多くが、「後継者不足」だ。
血縁者であろうが、他人であろうが、商売を継いでくれない。
その理由は何か?
「多様性」を口角泡を飛ばして騒ぐようになったけど、それは、「一元化」を隠すための方便だからだ。
つまり、「就職せよ」と。
どこに?
エリートこそ、大企業に、という具合である。
その「エリート」とは、ぜんぜん「選民」なんかではなくて、ただテストの成績優秀者で、言われたことや書いてあることに「忠実」なる訓練を、歯を食いしばって頑張った者、という意味になった。
だから、これはこれで、たしかに「たいしたもの」なのだけど、結局は大企業に就職して「安定」を得ることが「人生目標」になってしまった。
それで、民間の大企業すら安定が不安定になったから、公務員という安定に喜ぶのが「親」なのである。
そして、その親の典型が、商店主なのだ。
ところが一方で、政府も、「生産性向上」のため、という余計なお世話で、企業群の「業界」に命令する。
これが、「効率的」だと信じて疑わないのは、個人商店を政府が管理できないからである。
そうやって、ソウル・フードも消えて、「工業的規格品」をスーパーマーケットの惣菜コーナーで買うしかなくなって、「フード」はあっても「ソウル」がなくなった時代を生きるしかなくなったのである。
だから、ひとは、他地域のものでも残っているソウル・フードを探す旅をしている。
けれども、「観光関係者」という俗物たちは、これに気づかないのであった。