深刻な日野自動車の不祥事

2003年からのエンジン燃費試験についての不正が発覚した。

原因として、「特別調査委員会 調査報告書」で専門家はつぎのような指摘をした。
目標を達成しようという強い指示:調査委員長
企業風土化して下から上にものがいえない:同委員

具体的には、小木曽社長が自ら以下に指摘している。

・内向きで保守的な組織風土
・一人ひとりが当事者意識と一体感を持って仕事に取り組むことができない状態
・会社組織として業務マネジメントの意識・仕組みも不十分

これは一体どういうことか?
しかも、「業界トップ企業」でのことなのだ。

「業界」とは、「トラック・バスの製造業界」という意味だ。
日野自動車は、いすゞ自動車を販売台数で逆転して、「トップ・シェア」に君臨していたのだ。
しかも、バス製造事業については、いすゞ自動車と「統合」している。

今回の事態で、国は日野自動車の「全車種」について、「出荷停止命令」を発したから、1台も市場に供給されない状態になった。

なのでいま、「バスが足りない」事態が起きている。
従来からの運転手が足りない、のではなくて、「機材」としての話になったのは、高度成長期以降で「初」なのである。

もちろん、トラック運送業界にも「衝撃」が走っていて、「保障問題」になるのは確実だし、とっくにアメリカでは「訴訟」が起きている。
これは、「バス運送業界」もおなじだ。

出荷停止だから、当然に日野自動車には、「売上」がない。
長引けば、「倒産」の危機なのである。

一方、別の専門家からは、上記の「特別調査委員会 調査報告書」について、5ヶ月もかけてこの内容、といった批判がでている。
こちらは、調査委員会の報告書は、「本質を見誤っている」と手厳しいのである。

真因は、「エンジン設計部」の「技術力不足」だと断じている。
※出典は、8月5日、日経クロステック『設計の技術力不足を見抜けぬ甘い分析、日野エンジン不正の調査報告』

ちなみに、日野自動車は、トヨタ自動車の50%「子会社」だ。
それで、トヨタ自動車から相当数の「出向者」もいたし、「役員クラス」だって派遣されていたろう。

ただし、世界のトヨタも、大型トラックなどで主流のディーゼル・エンジンに関しては、残念ながら、「歯が立たない」という事情があるらしい。
そのために、「吸収」せずに、「子会社」としていたというのは、自然にみえる。

技術論は、専門家に任せて、ここでは「経営=マネジメント」の観点からの「危機」を論じたい。

第一に挙げられるのは、製業界で「常識」のはずの、「MTP(Management Training Program)」の「危機」である。
MTPは、戦後「マッカーサー指令」として、わが国製造業に「強制的」ともいえる形で普及した、「より良いマネジメント」をするための「体系」である。

そのきっかけは、当時、「極東空軍基地」になった東京・立川基地における日本人従業員の「烏合の衆状態」を正すために導入されたという。
「組織だった行動」の訓練である。

「集団主義」の日本人が、「組織だった行動ができない」とは、どういうことか?
それは、「体系」としての「組織」についての認識不足と、アメリカ空軍の軍人に結論づけられた、ということだ。

強制的な命令一下による、機械的な行動ではなくて、自主的な、もっといえば「自分で考え」て、それをもとに「自らに命じる」ということを、人間として追及すべし、という発想からできた「マネジメント体系」なのである。

立川基地に部品を納入する日本企業との「取引」に、MTPの導入を「条件」としたら、「功を奏し」たので、マッカーサー指令になったという経緯なのだ。

残念ながら、製造業以外の業界は「無視」されて今日に至るので、一次産業や最大の三次産業では、いまだに認知されていない。

こうやってみると、じつは、世界最大の自動車会社となったトヨタ自動車は、MTPの「権化」のような企業だ。
日産自動車が、ゴーン氏の社長就任から、MTPを導入したのとはまったくちがう「歴史」がある。

経営層と管理職層の、「マネジメント層」が、MTPを常識とする企業体といえる。
これが、「組織力」の決定的なちがいを生む。

しかし、今回の日野自動車の件や、おなじく「不正」をやらかした、東レも、MTPの権化企業だったから、なんだか、経営層と管理職層の、「分離」という状態にみえる。

これが、「最大の危機」ではなかろうか?

ガルブレイスが、半世紀前に書いた日本企業研究、『新しい産業国家』の話はずいぶん前に書いた。

ここでは、社員たち「テクノストラクチャー」が、みえない社内組織を形成して、経営を乗っ取る、という指摘がされている。
しかしいま起きている、「経営層」と、MTPをしっている社員層の「乖離」は、(外国人)株主からの圧力ではないかと疑っている。

かつて、「株式持ち合い」の時代の、経営の安定は、MTPをしっている経営層と社員層が「合体」していたからである。

こうしたことをかんがえると、労働組合はどうしていたのか?という疑問がのこるのである。
これら製造企業の労働組合幹部も、MTPをしっている社員層にあたるからである。

果たして、社内情報網をもつ、労働組合も「不正」を知っていて、これを、「容認」あるいは、「見すごしていた」とすれば、こと「会社倒産=失業の危機」になった事態の責任は免れない。

逆に、いまようの「短期利益」にものをいう株主に屈している経営層の暴走を阻止できるのは、もはや労働組合「しかない」ものを。
完全にかつての「イデオロギー対立」としての、「労使」ではなくて、「まったくあたらしい産業国家」を支えるのが、じつは労働組合になっている。

このことは、労組幹部だけでなく、なによりも組合員、あるいは、組合にそっぽを向く従業員が、「自己防衛」として、もっと「自分事」としてかんがえる時代になったといえるのではないか?

それがまた、MTPがおしえてくれる「自己統制」の原理・原則なのである。

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