物見遊山は観光なのか?

「物見遊山(ものみゆさん))という言葉ができたのは、修行僧が息抜きで山を散策したことがいわれとされるから、「修行僧」というひとがいないと成り立たない。

すると、ふるくは「仏教伝来」以降ということになって、それ以前には、なんといっていたのか?が気になるところだ。

ただの「物見」とか、「見物」だったのか?

それとも、「ピクニック」のことだから、「遠足」とかといっていたのか?
しかし、「遠足」で語源をしらべると、江戸末期の徒歩での遠出、ということだし、明治の学校制度から定着してきた言葉でもあるから、やたらあたらしいのである。

上に書いたように、「ゆさん」には、「息抜きとか、気晴らし」という意味があるので、それなりの暇人ができることになる。
ただ日常を生きるためにだけ働きまくらないといけないなら、とうてい「ゆさん」はできない。

それだから、江戸期にはいって庶民にも広まったとあるのは、江戸時代の安定を象徴するのである。

そうはいっても、あの十返舎一九の傑作、『東海道中膝栗毛』は、1802年から1814年にかけて書かれたので、1868年の明治元年からしたら、たかが半世紀前程度の旅行記なのである。

ちなみに、いまから60年程度前の1964年4月1日に、「海外渡航自由化」がはじまって、観光目的のパスポートが発給されることになった。
それでも1人年1回、海外持ち出し500ドル(1ドル:360円)までの制限付きだったので、隔世の感とはこのことだ。

逆にいえば、この日以前の海外渡航は、みな許可制であった。

なお、現在では渡航回数は自由だが、現金での持ちだし=出国と入国先の国での規制があって、日本出国には100万円相当まで、アメリカ入国だと1万米ドルまでが上限で、あとは申告を要する。
理由は、マネロン防止という今様だ。

現金は申告してもなにも課税されないけど、外国製の高級時計とかをしていて日本出国時に申告しないと、帰国時に外国で購入したとみなされたら課税されるので高級時計などをふだんからつけていたら注意がいる。

さてそれで、江戸時代とは、幕府を中心にした中央集権政権と思いたくなるけれど、そうではなくて、実態は、幕府が連邦政府で各藩諸侯の治める連合国家であったことは、きちんと認識しておきたい。

なので、「国内旅券」たる、「通行手形」がないと、国境を越えられなかった、はずである。

しかし、近年の研究(たとえば、『旅と関所』国立歴史民俗博物館研究報告第36集、1991年)で、手形には大きく二種類あって、時代劇や土産物にある「道中手形」で、正確には「関所手形」という書類と、意外なのは「往来手形」で、「途中手形」というものが存在していたことがわかっている。

この対象は、庶民男子の話で、「入り鉄砲に出女」の規制があった、女性や武士階級には適応しない。

それで、関所に提出するのが「関所手形」で、身分証として見せるだけだったのが「往来手形」という区分になるようだ。
どちらも、「書類」なので、よくある土産物の木製でできた「通行手形」は、現代の旅の記念品だけのものである。

「往来手形」の発行主は、寺社や庄屋、それに旅籠もあったので、その身分証としての信頼性は「適当」だったものだが、旅の途中で発行を依頼したからいう、「途中手形」は、ほんとうに「誰の誰兵衛」なのか?の信用力が薄く、何度も「まかりならん」とのおふれも出ているのに改まらなかったという。

つまり、どこからやって来たのか「本籍」が本人の申告でしかないで発行を請け負ったのが、江戸やらの「旅籠」だったのである。

いってみれば、当時の旅籠が、幕府のおふれにも逆らっていたことの証拠なのだ。

そんなわけで、地方からでてきた「旅人(あくまで庶民の男子)」は、あんがいと適当な形式でも旅ができた。
金銭の心配はどうしたのか?に興味が向くが、「助け合い」の精神で、なんとかなったともいえる。

その、「なんとかなる」ための方便でもあったのが、「お伊勢参り」とかの、有名寺社への「参拝旅行」だった。
つまり、ほんとうは物見遊山なんだけど、誰かに目的は?と聴かれたら「信仰のための参拝」が通じたのである。

これは、関所でもおなじで、「手形不所持」でも、係官の観察眼を通じて問題なし、とあらば通過できたというから、あんがいと「そんなもん」だったようだ。

あたかも「関所破り」して、冷戦時の「ベルリンの壁」のごとく、命がけのこと、というのは、庶民男子以外でのことだった。

弥次さん喜多さんのお気軽旅が、庶民男子の旅だったのもそのためなのだ。

そうやって、識字率が当時世界一だったわが国の庶民は。なんと書式が印刷されている、「旅日記帳」を購入して、旅に出ては、目にしたことを自分の旅日記に書いていた。

そうした「知」が、専門家としての作家を生んで、ベストセラーとなるのだから、その本の通りに旅をしたひとが、さらなる情報を作家に与えたにちがいない。

いまとぜんぜん変わらない、いや、いまもぜんぜん変わらない物見遊山こそが観光のコアなのである。

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