米国製の教育用電卓

ずいぶん前にこのブログでも関数電卓について書いた
あいかわらず,日本製の「教育用電卓」が国内で売られていないから,外国旅行でみつけて購入するしかなく,なんと国内では米国製のものしか手に入らないという逆転がおきている.

そういうわけで,日本製の教育電卓をさわったことがないから,コメントができない.
しかたがないので,今回も米国製のはなしになる.
「電卓」で米国製とは?とおもう向きもあるだろう.
もちろん「MADE IN CHINA」である.しかし,電子回路のロジックは「米国製」だ.

国内で売られているものは,どれもTI(テキサスインスツルメンツ社)のもので,小学生用の関数電卓,高校生用のグラフ電卓が二種類の,あわせて三種類になっている.
ここでは,わたしも愛用している小学生用の関数電卓にはなしを絞る.

「小学生用」といっても,計算機能はあなどれず,分数(約分も通分もして帯分数もできる),三角関数,べき乗・べき乗根,対数にも対応している.
これにメモリーが7個もあって,方程式の代入計算ができる.

「経営」に三角関数はまず使わない.けれども,べき乗・べき乗根は,複利計算に必要だから,「経営者」で日本製のふつうの関数電卓も持っていないなら,かなり危険とかんがえてよい.
これも前に書いたから本稿冒頭のリンクを参照されたい.
いま,量販店なら,980円でべき乗・べき乗根が計算できる関数電卓がてにはいる.

もちろん,すすんだ経営者は「金融電卓」を愛用しているかもしれない.
TIも製品があるし,やはり米国のHP(ヒューレットパッカード)のものが有名ではある.
これらの電卓のつかいかたに間する,「ドリル」も日本語になっているものがあまりないから,日本の金融マンのレベルがしれる.
だから,日本の銀行マンの前でこの種の電卓を使いこなすのは嫌みになるかもしれない.

さて,小学生用の計算機が「教育的」だという第一の特徴に,正と負の符号入力がある.
ふつう,身近にある日本製の電卓は,引き算のマイナス記号「-」と,負の数をしめす符号の「-」を区別しない.
ところが,この「教育電卓」では,これを区別する.

(-3)+(-4)=-7
を計算するとき,「-」の入力に,引き算の記号をつかうと「エラー」になるのだ.
別途用意されている「(-)」という符号キーで入力しなければならない.
計算機への入力工数はおなじだが,キーがちがうことで,ややこしくなる「負の数」と「引き算」を分けている.

小学校では「算数」だったものが,中学以降は「数学」になるのは,「算数」は計算方法を習い,「数学」は問題を解くための論理を習うというちがいがあるといわれている.
その最初,中学1年生の数学では,「算数」から「数学」への橋渡しとなる「負の数」が,いきなり立ちはだかるようになっている.算数では,「正の数」しか扱わないからだ.

引き算の記号であるマイナスと,負の符号であるマイナスがおなじ扱いになると,足し算の記号であるプラスと,正の符号であるプラスもおなじ扱いになるから,
(-3)+(-4)=-7

(-3)-(-4)=+1
(-3)+(+4)=+1
がグチャグチャになって混乱する.
これを区別のない電卓で計算してみればよくわかる.

面倒だが,メモリー機能をつかわないと正しい答がでないのがふつうの電卓だ.
「+M」と「-M」をつかいわけて,「MR」キーで答えが出るけど,混乱がスッキリするだろうか?といえば,はっきりしないだろう.
上述した例題は単純だけど,ちょっと複雑になったら,おとなでも混乱するはずだ.

これだけでも,教育用電卓の教育効果はおおきい.
中学2年になろうが,高校3年になろうが,符号と計算記号の区別はつづくから,電卓のボタンを押すたびにこの違いを体に教えこむことになる.

小学生がつまずくのは,計算の順番だ.
2+3×4=?
2+3=5 ⇒ 5×4=20 ✕
と,式の頭から順番に計算すると,一つ一つの計算は正しいのに答をまちがえる.
おなじ式のなかに掛け算や割り算があったら,そちらを先に計算しないといけない.
3×4=12 ⇒ 2+12=14 ◯
が正解となる.あんがい大人もまちがえる.
この電卓は,数式どおり入力すれば,正しい答をだす.

もちろん,小学生の「九九」を軽視しているのではない.
むしろ,頭脳が発達中の子どもには日本では「珠算」をさせるのがいいだろう.
しかし,学習の補助として,分数の確認にもってこいなのが最初のころの魅力だったらしい.
アメリカでは両親がそろっていないことがあって,家でひとりでやる宿題のために電卓を貸し出したら,有意で成績があがったという.

いま,日本の高等教育は,分数ができない学生のおおさに悩まされている.
工学部の学生が,分数の割り算ができない.
さすがに入試で分数の割り算を出題するのは,学校側が恥ずかしくて出題できないというが,どうやら本音は,少子化の中,合格者が減ってしまうということではなく,分数を出題したら,できない学生の受験数が減る畏れがあるらしい.

それで,入学後,強制的な「補講」を実施している大学が,文科省の「モデル校」になっている.
大学教師は高校教師に,高校教師は中学教師に,中学教師は小学校教師に,「なんとかしろ」と言って,もうかれこれ30年つづいているから深刻だ.
しかし,こんなにつづいている理由はかんたんで,解決法がだれにも見出されていないからなのだ.

この状況,どこかで見たことがある.
「だめな組織」にそっくりである.
「だめ」が長くつづいて解決できないのは,たいがい「コンセプト」に問題がある.
つまり,数学教育にかぎらないだろうが,「なんのために」「誰のために」といった,根本的な見直しが必要なのだろう.

「子どものために」「将来の稼ぎために」,これに「しつけ」も親が学校に丸投げしたから,学校現場は文科省の役人がかんがえるほど甘くない.
そもそも,文科省の高級官僚は,大学を卒業して一度も教壇に立ったことがないから,現場を知る由もない.いまどきの小学生にからかわれる環境で,自分の授業が成立しない経験もない.
だから,文科行政が「しっかりする」ほど,わが国の教育が劣化する仕掛けになっている.
「祭り」の疲弊とよくにているのだ.

その文科省の管轄ではない,どこかの塾講師のだれかが,「数学ができる」と,「年収が100万円」もできない人のうえをいくという統計があるから,40年勤務すれば単純に「4,000万円」ちがう,と言っていた.
ただしい表現であると感心した.
こうしたことを「言うな」と役人は言うだろうからダメなのだ.

「稼ぐ」ために役に立つ,これである.

ほんらい,義務教育が終われば「稼ぎに」でて,人生が自立できるようでなければならない.
「職人」には,数学は一般人より必要なはずだ.
つまり,動機づけにすら失敗しているのではないか?

教育用の電卓は4,000円しないのだから,なんて安い投資だろうか?
肝心なものをケチると,貧乏になる.
「必要経費」を削ってはいけない.

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