「クオーツ」の「原理」を発見したのは、あのキュリー夫妻で1880年のことだった。
それから、「腕時計」として世界で最初に発売したのは、セイコー社で1969年の『アストロン』(アナログ表示)だった。
家庭用ビデオで、機能に優れた『ベータマックス』が、『VHS』に完全敗北した最大の理由が、「特許の公開」であったように、セイコー社はクオーツ式の特許公開をして、スイスやアメリカの時計業界に「壊滅的打撃」を与えたのは有名な話だ。
スイスは二極化の道を選んで、「超高級機械式」と「超廉価」とで対抗した。
「超廉価」の方は、心臓部の「ムーブメント」を日本製に甘んじて、「デザイン」をスイス製としたのである。
このアイデアは、その後の世界の製造業に「画期」を与え、付加価値の源泉がデザインから商品企画にシフトしたわかりやすい「事例」になったのである。
この「権化」が、いまのアップル社であろう。
一方で、工業大国のアメリカの時計製造業は、いったん「全滅」したのだった。
どれほどセイコー社が恨まれたことか?
今でこそ、日本人が骨身に染みるほどに理解できる事態である。
それでも、アメリカの時計製造業は復活してきたから、現在の日本人はアメリカを「先進(例)国」として学ぶ価値はじゅうぶんにある。
クオーツ時計のもう一つの「画期」が、「デジタル式表示」であった。
時刻が数字で表されて、「針がない」ことは、とにかく時計の概念を変えたのである。
もちろん、「精度」は、クオーツだから、機械式とは次元がちがう。
むかし、『徹子の部屋』に出演した、超売れっ子脚本家の花登筐(はなとこばこ)氏が、腕にあるスイス製超高級腕時計が数千万円するのを自慢してから、ポケットから取り出したのが1万円のクオーツ時計で、「正確なので時間はこの時計でみている」といって笑っていた。
なので、超高級腕時計を指して「ブレスレット」というのである。
「(動く)装飾品」という意味である。
クオーツ時計は、「電池」がエネルギー源なので、その性能は電池の性能によって左右されるし、デジタル式なら「発光方法」での電池の消耗がちがう。
それで、自ら発光して目視しやすいけれど電池の消耗も激しい「LED式」が廃れて、節電型の「液晶式」が主流になったし、電池も「太陽光発電式」が採用されて、交換の手間がはぶけた。
さらに、時刻合わせの手間も、ラジオ電波の時報を受信して自動になったら、カレンダーも自動になった。
最近では、スマホ連動になって、アナログ式とデジタル式とで、あたらしい分化をはじめている。
デジタル式は、いわゆる「スマート・ウオッチ」がそれで、『ウルトラマン』の科学特捜隊が着けていたかつての少年たちが「夢」にみた無線機となる時計すら「古い」機能になっている。
まさか、電車の改札にも使えるとは、当時の発想を超えているのだ。
それに、「文字盤画面」の細密化で、あたかも「アナログ式」のような表情だって選択できる。
けれども、「スマート・ウオッチ」が気持ち悪いのは、便利とされる「ウエルネス」をうたう機能だ。
心拍計とか骨格筋量や基礎代謝量、体内の水分量、体脂肪率などが「測定可能」で、運動管理もしてくれる。
これらの「情報」が、スマホを通じてデータベースに飛んでいくのだ。
もちろん、自分のためだけでなく、「ビッグデータ」として収集されていることぐらいはしっている。
これが、「気持ち悪い」のだ。
はたしてこんな「多機能」は、「進化」なのか?
そんなわけで、「老眼にやさしい腕時計」を探しに、涼しい冷房の効いた家電量販店に行ってきた。
わたしの要望は以下の通りである。
・デジタル式であること
・数字は目視しやすいこと(大きさ、照度、夜間自動発光)
・手間なしであること(時刻合わせ、太陽光発電)
・余計な機能はいらないこと
デジタル式としたのは、アナログ式を既にいくつか持っているからであるけれど、時刻を一目でしるには、デジタル表示の方が早いという理由がある。
「老眼」がだんだんきつくなると、「針を読む」のも面倒なのである。
だから、「目視しやすい」というのは、絶対条件となる。
ここで、大型量販店の売り場を3周ほどして気づいたのは、ターゲットが「現役世代」としてディスプレイされていることである。
それと、理由はわかるが、「メーカーごと」になっていることで、売り手の都合が優先されている。
どうしてこうなっているのか?
「メーカーごと」は容易にわかる事情だが、「現役世代」中心にはやや違和感がある。
自分が外れていることもあるけれど、「人口比」と合致していない。
そんなわけで、「最大文字表示」の機種は、なんと「トレッキング用」とかの「山登り」に適した機種だった。
だからもあるが、よくある「スポーツ・タイプ」のゴツゴツした重厚なデザインだ。
それで、高度計や方位計測、気圧・温度に日の出・日の入りを示す「余計な機能」がついている。
その割に、暗所での自動点灯機能はショボくて、地面に対して60度の位置で白色LEDが2個ばかり数秒間光るだけなのだ。
文字が自動拡大するぐらいの気の利いたことはできないのか?
もっといえば、月齢や旧暦などの「陰暦表示」があってもいい。
年寄りは「風流」を好むのである。
世界に日本の風流を輸出するくらいの気概があっていい。
これが、スイスとアメリカに学ぶことではないのか?
これで3万円。
100円ショップの超単機能な300円時計が、妙に潔くみえるのである。
さては残りの人生を、どの時計で計ろうか?
あんがいと悩ましいことになったのである。