芥川龍之介『神神の微笑』の憂鬱

この作品は、大正11年(1922年)に発表された、芥川龍之介30歳のときの作品である。

著作権が切れたので、無料で読めるのはありがたい。

芥川龍之介といえば、一応、「短編の妙手」という見方が一般的だ。
この作品も、すぐに読める短編である。

だからといって、すぐれた短編は、ずっとロングテールのように、あとを引くのである。
それに、時代背景とかもかんがえると、なかなかに作家から投げられたボールのキャッチがむずかしい。

それは、作品のなかの時代背景だけでなく、作家自身が生きた時代の背景もあるからだ。

さいきんでは、「握手の鬼」さんが投降している、『神様の憂鬱』というユーチューブ作品がおもしろい。
動画というよりも、A.I.音声に語らせる、その無機質な「読み上げ」が、練られた内容と合致してあたかも、「短編ラジオ・ドラマ」の様相を醸し出している。

とはいえ、イラストがまた巧妙なので、見入ってしまうのである。

大正期の芥川と、現代の握手の鬼が描く、「神」には、決定的ちがいがあって、それがまた面白いのである。

ひとことでいえば、「日本文化」と「外国文化」のちがい、である。

その話の前に、芥川龍之介がえがく、1924年の『桃太郎』は、帝国主義者として描かれている。
「鬼ヶ島」とは、あたかも日本のことで、桃太郎主従はかつてのモンゴルに服従した元寇のときの高麗連合軍ともいえるし、幕末の米(桃太郎)・英(猿)・仏(犬)・露(雉)をも想像させる。

一方、英国の文豪、サマセット・モームは、『コスモポリタン』誌に、つまり、芥川とほぼ同時代の1924年~29年にかけて、連載したなかに、『イソップ』からパロった、『アリとキリギリス』を発表している。

ちなみに、わが国に『イソップ寓話集』を伝えたのは、ザビエル以降の宣教師たちだったのである。

それで、「天正遺欧少年使節」(1582年に出発し、1590年に帰国した)がヨーロッパから持ち帰った印刷機を使い、イソップ物語などの「天草本」を全国に普及させた経緯がある。

なお、さいきん、「本能寺の変」は、信長、光秀、秀吉の間でした、「密約」で、どうにもこうにもヨーロッパ大陸に行きたくなった御屋形さま:信長の「野望」を実現するための、大芝居ではなかったのか?との説があって、これに家康がどこまで加担したのかはわからない。

少年使節は、2月20日(旧暦1月28日)に長崎を出港しているけれど、本能寺の変も、同年6月2日(旧暦6月21日)で、わずか3ヶ月半の誤差しかない。
マカオあたりで落ち合って、「船団」を組んでいた可能性は、むしろ当時としてはふつうなのである。

『神神の微笑』に話にもどすと、その主人公、オルガンテイノ神父も、イソップの普及につとめたひとりだったにちがいない。

例の、京都大学霊長類研究所が、宮崎県の幸島でニホンザルが「海水でいも洗い」をする行動が、伝播していくことが世界的に有名になった。

なにも、芥川龍之介とサマセット・モームの間で「伝播した」とはいわないが、昔話からあたらしい物語を創作するという意味で、同時期のこの二人の文豪の共通なのが興味深いのである。

モームの話は、よく人生の機微として解釈されているけれど、これを芥川のいう、『神神の微笑』に照らしたら、なるほど「破壊」を旨とする欧米人の神の発想が原点にあることもみえてくる。
その根拠は、なにせ『聖書』にあるからだ。

しかしながら、日本人の神はぜんぜんちがう。

「破壊する力」ではなく、「造り変える力」なのである。
つまり、オリジナルがどんなものであれ、それを造り変えて、「日本的なもの」にしてしまう。
いやむしろ、日本人は、日本的なものにしないと気がすまないのである。

それがまた、日本における「中華料理」であるし、「洋食」なのである。

イタリア人がにわかに信じない、パスタをケチャップで炒めてつくる「ナポリタン」なる料理は、完全に日本料理となっていて、来日したイタリア人は驚愕しながら食し、その美味さにまた驚愕するのである。

しかしもちろんイタリア人は、それがたまたまパスタを使っていても、決してイタリア料理とは認識しないし、日本人がイタリア料理を完全破壊したともおもわないで、「亜流」としてみるだけなのである。

『神神の微笑』を書いた芥川が、その2年後に、『桃太郎』を発表するのは、大正時代という不安定な時代背景を無視しては語れない。

社会主義の幻想が、美しくみえた時代であった。

しかし、芥川が自死してなお後の、戦中から敗戦後にかけて、社会主義国にさせられたわが国で、いま、ユーチューブで『神様の憂鬱』が発表されたのも、いまという時代背景を無視できないのである。
このドラマにある「神」は、日本的「造り変える力」ではなくて、人間に君臨する西洋の神となってしまったことで、「憂鬱」になったのである。

それはまさに、オルガンテイノ神父の憂鬱そのものなのだ。

この日本と西洋の、文明のクロスオーバーが、日本と西洋双方でねじれて、同時に憂鬱になっている現代社会病理の正体なのだ。

日本の西洋化と、西洋の日本化ともいえるのに、そのベクトルが一致しない不幸がある。
日本が日本らしさを発揮すれば、西洋は安心して日本化できるのに、である。

あゝ、「スパゲッティ・ナポリタン」をうみだした日本人のすごさよ。

信長は光秀とともに、バチカンで死んだというのは、たとえ荒唐無稽でも、妙に説得力があり、猿ならぬ秀吉がこの二人の希望を実現するのに奮闘したならば、主従の強固な関係すらも納得の美談となって光り輝くのである。

さすれば、信長・光秀の両名は、バチカンでなにを造り変えたのか?が気になるのである。
もしや、憂鬱のうちに亡くなったのか?

一方、現代の、握手の鬼が描く、ポリコレの『桃太郎』のおぞましさは、破壊神の日本征服が完遂したからだとしたら、もう憂鬱とはいっていられないのである。

だがしかし、芥川の『桃太郎』と、読後の気分が憂鬱になる共通は、「唯ぼんやりした不安」そのものなのである。

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