もちろん、3度のトランプ起訴のことである。
当の本人は、起訴の度に上がる支持率に、もし4度目の起訴があれば、自分を共和党大統領候補に決める、と余裕の冗談をかましている。
大手マスコミは報じないが、バイデン(一家)政権側の不祥事が発覚するたびに起訴されているのだから、情報リテラシーがあるアメリカ人なら、とっくにこの茶番に気づいている。
しかし、その民主党側は、ほかに手の打ちようがないので、馬鹿の一つ覚えのごとく、3度も同じ手をつかうしかないまでに追い込まれているのだ。
地方検事であろうが、連邦検事であろうが、こんな茶番につきあうのは、成功報酬に目がくらんでいるいるからだろうけど、失敗したら逆に自分が起訴されかねないリスクがある。
つまりは、検事の身分で、白昼堂々と「賭博」をやっているのだ。
この意味で、アメリカの裁判官も、二大政党の大統領が任命するから、政治色があるものだ。
一方、何度か書いてきたが、日本の裁判官は、最高裁判所にある事務総局が人事権を掌握している。
このトップは、最高裁判所事務総長といわれるポストで、「裁判所法53条」によって、判事ではない。
つまり、事務官がなることになっていて、「事務次長」以下の局長、課長、参事官などには判事や判事補が就くこともできると、まだ占領中の昭和25年1月17日、最高裁規則第3号1項にはある。
これはこれで、いいのか?
日本人には、たっぷりやっていたテレビの捕り物帳やらの時代劇から、町奉行所のイメージが刷り込まれて、法廷がいまだに「お白州」だから、裁判官に疑問をいだかないようにされた。
それに、「大津事件」のことが必ずテストにでるので、「大審院」の正義はいまでも通用している「はず」だとも刷り込まれている。
しかし、選挙公報にある、最高裁判所裁判官国民審査のための各裁判官の自己紹介文を読むと、趣味は近所の散歩とか、おそろしく他愛もない話が印刷されていて、どうやって国民に「審査せよ」というのか?
国民にはわからないことばかりなのである。
それに、最高裁判事には上に書いたように、下級各裁判所の判事に関する人事権がないのだ。
この空疎感。
だったら、判事も事務総長も、A.I.が担当した方がよくないか?と、一瞬でもおもう。
なんだか、すごい闇の中に暮らしている気分になる。
アメリカのやり方を、GHQはどうしていれなかったのか?はしらないが、アメリカのやり方がいいともいえないので、困ったものなのである。
裁判官の人事評価と、昇級・昇格・異動などは、どうやって決めるのがよいのだろう?
少なくとも、いまのやり方がよいとはいえない。
おおいなる議論をすべきところだろう。
ところで、トランプ氏の3度目の起訴状には、へんな罪状が入っていて、その根拠法が19世紀のものなのである。
これを、アメリカの保守言論界の重鎮が、まともな起訴状ではない、と断じて話題になっている。
やぶ蛇になりそうな、「1月6日事件」の責任論なのである。
どうしてやぶ蛇になりそうかといえば、当時の民主党ペロシ下院議長の演出だということ(現状では「噂」)が、裁判で明らかにされたとき、どうするのか?があるからだ。
なにしろ、いまは、共和党が下院議長に就いている。
つまり、ペロシが強引に進めてもなにも証拠がみつからなかった本件で、今度は共和党がペロシの挙動を調査する権限を持つからである。
でっち上げの証拠づくりには失敗したが、でっち上げたことの証拠は見つかるにちがいない。
すると、話の展開がおかしくなる。
3度目の起訴をした連邦検察官には、「凄腕」という評価と実績がある。
しかし、彼の狙いは、じつはペロシではないのか?と妄想したくなるのだ。
あんまりニュースになっていないけど、カチカチ山の泥船から逃げるがごとく、沈み行く民主党バイデン政権に見切りをつけて、さっさと退官するエリート官僚が多数いるときく。
連邦検察官とは、日本も同様に、「政府の役人」なのである。
アメリカなら司法省、日本なら法務省に属する。
現状からすれば、彼の立ち位置はどっちつかずだ。
あたかもトランプ氏を有罪にすると、民主党にはいうけれど、一方で、トランプ弁護団に、ペロシの仕業を提出させるのではないか?
そうやって、あとは、裁判官にボールを投げて、自身は知らんぷりできる。
とにもかくにも、欧米人は、「偽旗作戦」が大好きなのである。
敵が味方で、味方が敵だったなんてことはよくある。
権謀術数のあらん限りをつくして、自己の保身だけをかんがえる。
これが、欧米エリートの真顔なのである。
まことに醜く、低俗なるひとたちだ。
日本なら、こんな茶番をだれが観るものか!となるにちがいなかったが、昨今の退化した日本人には、「複雑性」という理由だけをもって、アメリカの茶番が理解もできなくなったのである。